宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

2018-01-01から1年間の記事一覧

心と体

疲れが取れないなぁと感じます。心が疲れているのか、体が疲れているのか、それともそんなに単純な二分法ではないのでしょうか。 心と体が連動していることは、日常的にごく当たり前のことです。しかし、心と体は完全に一体化して同じものかというと、また話…

高齢社会の「仕事」を思う

レッドコードを使ったエクササイズがあります。体幹を鍛えると言われていますが、私自身はやったことがありませんでした。身体を吊るした状態で、余分な力を入れずにいろいろな角度の運動を行えます。筋肉の張りや痛みを軽減して、過緊張状態の改善につなが…

言葉によるセクハラ

福田淳一財務次官のセクシュアル・ハラスメント疑惑をめぐって、新聞もテレビも熱を帯びて取り上げていました。18日、福田次官は辞任表明し、ただしセクハラ疑惑は否定しました。19日、テレビ朝日が急きょ、セクハラ被害を受けた女性社員の存在を公表しまし…

老いの哲学:「いる」ということ

介護士として、高齢者と触れ合う中で「老いの哲学」について考えています。これはエリクソンいうところの第8段階の「のちの在り方」です。第8段階「老年期」(60代半ば以降)が「英知」を課題とする段階であるなら、そこで終わらないのが人の世過ぎ、と日々…

言語論的転回2)日常言語の使用と間違った考え

母の入院で、まとまってものを考える時間がありませんでした。母はショートステイに移動してかなり落ち着いてきたので、私もまた、以前考えていたことに少しずつ戻ることにします。 認識論的転回から言語論的転回への変化があって、「何を人間は知り得るか」…

作品と作者

今年の桜は早かったです。お花見もまだゆっくり行けないまま、今週末には散り始めるだろうと言われ、ちょっと焦りますが、今年の花は仕方ないかな。やたら忙しかった3月が終わり、4月ももう4日です。 さてこういうときは、少し日常を離れるに限ります。芸術…

「のちのおもいに」

24日参加した「千葉・茨城教授学研究の会」で、立原道造の詩「のちのおもいに」(立原道造第一詩集『萱草に寄す』)が取り上げられました。抒情的で美しいこの詩は、細かく読んでいくとよく分かりませんでした。ただ「のちのおもいに」はどんな思いかという…

「何とかなる」は「人事を尽して天命を待つ」こと

お彼岸の中日は雨で、22日、漸く墓参りして来ました。お寺の境内の枝垂れ桜が大分咲いていました。 23日は、利用者さんと一緒に牡丹餅をおやつに作りました。もち米を炊いて小ぶりのお団子を一人3つずつ作ってもらい、粒あんときな粉とゴマの3種類の味を楽…

ワイドショーから

ここ何日か、新聞およびテレビのワイドショーは、森友問題で沸いています。学校法人「森友学園」問題をめぐり、財務省の決裁文書が書き替えられた疑いがあるという報道は、朝日新聞の2日付朝刊で始まりました。 契約当時の文書にあった「特例的な内容となる…

直に向き合うことの重要性

紆余曲折をへて、漸く母の(吐き気が止まらない)という症状の原因と思われるものが特定されました。原因が分からない9日間は、不安と疲労がたまっていく状態でした。担当医師からの説明を求めても、時間が取れないということで会えませんでした。これって…

マズローの欲求5段階説

土曜日に弘道館公園へ行ったら、梅が見ごろでした。それから病院へ行って、母としばらく話をして帰って来ました。病気になったり、高齢で介護を必要とするようになると、マズローの欲求5段階説を実感します。 アブラハム・H・マズロー(1908-1970)はロシ…

諦める力

母の入院で、老いとその終焉の問題を改めて考えさせられています。年齢もあり、急変したときどうするか、を考えざるを得ませんでした。朝日新聞2011年10月の「逆風満帆」で、小児科医の細谷亮太さんへのインタビュー記事が3回にわたって掲載されましたが、「…

3月と言えば‥‥

昨日はひな祭りでした。母が入院しているので病院に行ったりしていて、すっかり忘れていました。まあ、今は別に何もしていませんが。お昼を食べるので、病院を抜け出して、工事中の大手門のところに敷設してある階段を上り下りして、弘道館の前に出て、水戸…

春の嵐

今朝は大荒れのお天気でした。午後からは晴れましたが、風が強かったです。春の嵐、言葉のイメージは何となく明るさに向かっていくわくわく感がありますが、現実の天気はものすごいもの。 昨日、左肩に痛みが出て、整形外科に行って注射してもらいました。石…

言語論的転回1)言葉と心の中の何かの関係

私たちは、何かを理解するとき、ごく自然に言葉を使っています。何かもやもやと感じたものを「えーと、えーと」という感じで言葉を探し、ぴたっと当てはまる言葉や表現が見つかったとき、「そうだ、分かった」と感じます。でも異なる側面を見て、あれっ、ち…

オリンピックと内面的促し

オリンピックのスピードスケート、女子団体パシュートで金メダルを取ったニュースで、昨日は沸いていました。美と力が合致する隊列の美しさには見惚れました。あの一瞬(3分弱)を作り出すために、どれだけの練習がなされてきたかを思うと、何とも言えない思…

他者理解と言葉、距離

冬季オリンピックでは、スピードスケート女子も活躍しています。カーリングも頑張ってるし。そう言えば、フリースタイルスキー・エアリアルのスイス代表団選手の一人ミーシャ・ガッサーさんの父親と現在の奥さんが、一年前に自転車でスイスを出発してピョン…

愛について3)コミュニケーションとしての愛

ピョンチャンオリンピックで、男子フィギュアが金銀をWで獲得しました。やったーという感じです。羽生結弦選手の姿にはやはり感動します。リンク際で3位を取ったハビエル・フェルナンデス選手(同じコーチについている同士)と抱き合って泣いている姿を見た…

他者を理解することのメルクマール

15日は暖かい日差しが気持ちのいい一日でしたが、16日はまた寒さが逆戻りしてきました。2月は毎年寒いのですが、今年は1月から寒かったので、それに大雪も降ったりして、身体が縮こまりがちになってます。身体が縮こまると心も縮こまるのかなあ。 人間関係論…

認識論的転回3)イマヌエル・カント

昨晩、雨が降っていました。今朝は晴れていて、暖かでした。ただ北陸方面の雪は大変で、タンクローリー車が到着しないので、ガソリンスタンドでの販売に困難が生じているようです。コンビニエンスストアにも品物が届かない。自然の力は、私たちの生活を直撃…

認識論的転回2)ジョン・ロック

認識論的転回とは、デカルトに始まる近代哲学が、存在論中心から認識論中心へとその軸足を移動したことを言います。そしてこの動向は、カントの批判哲学で頂点を極めたと言われています。 ジョン・ロック(1632-1704)はイギリス経験論哲学者で、イギリス人…

認識論的転回1)デカルトの<心の発明>

昨日の夜、『人体⑤「〝脳〟すごいぞ!」』を見ましたが、うーん、もう少し踏み込んで欲しかった内容でした。ただ、脳のひらめきの瞬間と、ボーっとしている瞬間とが同じ状態にあると言うことが、脳のMRI画像で解明されたことには納得。「デフォルト・モード…

愛について2)

さすがに3日続けて勤務は疲れました。帰りにマッサージに寄ったら、かなり関節が固くなっていると言われました。まあ、散歩もしてないし、あまり体操もしていないので。 さて、森有正が、肉体の生はただ一回限り、「だから、ほんとうの愛も唯一つしかない。…

意識現象の複雑さ:例えば幻覚について

今日から仕事に復帰しました。抗インフルエンザ薬は、発症から48時間以内に使用すると、発熱期間が1~2日短縮され、鼻や喉から排出されるウィルスの量が減ると言われます。48時間以上たって、ウィルスが増殖しきってからでは効果がないようです。私の場合、…

愛について1)

まだ鼻声で、薬のせいか胃がなんとなく不快です。今日は関節の痛みはなくなり、その代わり昼間から猛烈に眠気を感じます。明日から職場復帰します。後は動いていた方が、回復は早いかも。 ところで、幸福の問題を扱っていたとき、当然、愛について考える必要…

香港の一国二制度

今日の新聞で、香港補選へのアグネス・チョウ(周庭)さんの立候補が認められなかった、という記事を読みました。彼女は民主派政党「香港衆志」から立候補しました。この政党は、独立派より穏健とされる「民主自決派」ですが、党綱領が香港基本法に抵触する…

音楽の力

熱は平熱に戻り、食欲も戻りましたが、胃腸の調子が今一つ。日曜日は黄色い痰が出ていましたが、今日は鼻水も水っぽいものが出るくらいでした。ただ首を回すと痛みがあり、よく回りません。腰の痛みは大分緩和されました。 今日も一日ぐうたらしていました。…

アグネス・チョウさん

熱は下がりましたが、まだ関節の痛みや軽い頭痛が残っています。それと痰の絡む咳。食欲は、出てきましたが、胃の方がまだ本調子でなく、おかゆやもち、うどんなどを食べています。今日、一日中ぐうたらこたつに入って、テレビを見ていました。 元気だったら…

インフルエンザ

ほぼ20年ぶりに、インフルエンザに感染しました。疲れていたこともあるのかも知れませんが、急速に発症するのには驚きです。予防接種はしていたので、熱も37度台で、食欲もそこそこあります。ただ関節や腰の痛みがあります。20年くらい前にかかったときは、…

自由をめぐって2):日本人にとっての自由

幸福にとって自由が重要だと、ラッセルは書いていました。では、日本で自由はどういう意味を持っていたのでしょうか。どうも、自由という語は「我儘放蕩」、好き勝手や自由気ままという意味で用いられていたようです。『続日本紀』まで遡れるとか。それを、l…

h-miya@concerto.plala.or.jp