宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

意識現象の複雑さ:例えば幻覚について

 今日から仕事に復帰しました。抗インフルエンザ薬は、発症から48時間以内に使用すると、発熱期間が1~2日短縮され、鼻や喉から排出されるウィルスの量が減ると言われます。48時間以上たって、ウィルスが増殖しきってからでは効果がないようです。私の場合、本当に、発症確認から5日間でほぼ症状は消えました。 

 インフルエンザで、まだ熱が引ききらずだるさが残っていたとき、フット意識が詰まるような感覚、窒息感に襲われました。通常意識は、次々に対象に向かっていて、留まることがなく、そのことで現代人は疲れているとも言われます。座禅やマインドフルネスは、そういう意識を「今、ここ」に集中させて、流れ方を最少限にします(これは私の勝手な解釈です)。「意識とは何物かについての意識」と言われ、不安感も「何か」についてのものと考えがちです。でも、意識が拘束されたような、窒息するような状態への、意識状態への「不安」もあるのかも、とふと思いました。

 ところで幻覚という現象について、私たちは幻覚を見ている人たちは、それを現実の知覚と捉えていると考えます。ところが、メルロ=ポンティは、判断において分裂病者は、幻覚と知覚を区別していると言います。幻覚は外的現実との関係の中にあるのでなく、意識の中で「内具的表示として読みとられねばならぬもの」(『知覚の現象学2』194頁)なのです。

 「幻覚はわれわれの眼の前の現実を解体して、その代わりに一つの準実在を据えるのだが、この幻覚現象は二つの仕方で、われわれをわれわれの認識の前論理的基底へと立ち戻らせ、物と世界について述べてきたことを立証してくれる。その場合、重要なのは、患者たちが幻覚と知覚とをおおむね区別しているという事実である」(『知覚の現象学2』191頁)

 患者自身、「幻覚は客観的存在の中に場をもたない」(194頁)と言います。「幻覚は世界の中にあるのでなく、世界の<まえに>ある」(199)のであり、幻覚患者はまずもって、自分の身体の幻覚を見るのだと言われます。自分の存在のトータルな在り方に合うように、人為的に環境を作り上げているわけです。

 この幻覚と知覚の問題は、もちろん脳内の機能障害の問題としても捉えられますが、幻覚を見るということの、幻覚患者の生きる世界での意味を捉えるという道があります。意識現象の不思議。人間的意識現象は、その実存様態と切り離せません。

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