宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

浦和での同窓会

昨日(29日)、浦和のワシントンホテル2階のファーマーズガーデンで、大学時代の仲間との、恒例の学年同窓会がありました。今回は少なくて、7名の出席。一学年100名でした。亡くなった人や遠方の人もいます。毎回、12、3名は参加していたと思いますが、私も2…

立場にもとづく客観性の乗り越え方

立場を変えることが、隠れている別のものを見ることになるというテーマは、昔から語られてきました。立場が違うと、まるで異なる風景が見えることは事実です。立場に囚われない見方は、より成熟した見方とも言えます。しかし、立場による客観性があるのも事…

佐川文庫 木城館でのサロン・コンサート

佐川文庫 木城館でサロン・コンサート「大須賀恵理ピアノ室内楽シリーズ~未来を嘱望される若者を迎えて~」を聴いてきました。演奏者は、大須賀恵理(ピアノ)、正戸里佳(ヴァイオリン)、岡本誠司(ヴァイオリン)です。岡本誠司さんが最初にバッハの「無…

『ダウントン・アビー』の世界

イギリスの貴族が楽しみに見ていたという『ダウントン・アビー』。確かに、格式ある生活とはどのようなものかを描き出しています。連続物の面白さは、その世界が自分にとっても馴染のものになって、スッとそこに入りこめることです。俳優陣にとってもその世…

自分の目と他人の目の同質性

他人のまなざしとどう向き合うかは、古今東西の人間誰しもが悩んできた問題ではないでしょうか。サルトルの『存在と無』の中の「まなざし」の分析は有名ですが、普通に日常的に気になる問題ですよね。自分が他人の目を気にしすぎると気に病んでみたり、傍若…

あきらめないこと

茨城有権者の会で、「あきらめないこと」という話が出たことは書きました。以前に見たドキュメンタリー番組『植物人間からの生還ーーあなたの声が聞きたい』(NHK1992年)でも、看護婦長紙屋克子さんが、同じことを言っていました。「看護婦があきらめた…

『不思議なクニの憲法』のビラ配り

水戸駅北口で、朝、ビラ配りをしました。ドキュメンタリー映画『不思議なクニの憲法』(監督 松井久子)を5月3日に、勝田のワークプラザで13時30分から上映します。入場料は700円です。主催は「憲法のつどい」実行委員会。 以前小美玉市役所 四季文化館(…

型が育てるもの

中山要『御徒の女』を読みました。御徒というのは、徒侍、徒歩で行列の先導を務めたような下級武士のことです。御徒の女とは、この徒歩組の娘や徒歩組に嫁いだ女たちのことです。時代は、幕末、お徒歩組に生まれた長沼栄津の娘時代から始まります。嫁いで母…

茨城有権者の会 総会:「しぶとい老人たち」

16日(日)、みと文化交流プラザ(元ビヨンド)で、茨城有権者の会主催の映画鑑賞会と総会がありました。映画は市川房枝さんの軌跡をたどった『87歳の青春』。会員以外の参加者20名強のうち、市川房枝さんを知っていた人は数名でした。市川さんの活動に、「…

桜に想う

ほとんどの小学校、中学校の校庭には桜が植えられています。私たちにとって桜はごくありふれた花ですが、同時に特別な花です。奈良時代には梅に人気がありましたが、平安時代以降、花といえば桜を指すようになりました。桜を詠んだ歌としてよく知られている…

『ニュー・シネマ・パラダイス』:痛みの中で、今を「肯定」する

『ニュー・シネマ・パラダイス』の完全版(ディレクターズカット版)を観ました。1988年に公開されたイタリア映画です。監督はジュゼッペ・トルナトーレ。劇場公開の短縮版は123分、ディレクターズカット版は173分です。劇場公開版は内外で高い評価を受け、…

ケアにおける客観性4)ーー生の「展開」から評価する

ケアにおける客観性をニーチェの系譜学の手法から考えてきました。取りあえずまとめておきたいと思います。 ニーチェの系譜学的解釈は、解釈の良し悪しを、複眼的に解釈する技術です。生の遠近法の創造性と解釈している力の質を、生肯定か生否定かという基準…

東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展

最終日に滑り込みで、見てきました。やはり圧倒されました。68面の襖絵すべて展示されていました。鑑真和上座像厨子のある松の間は、「揚州薫風」と題された26面の襖絵が描かれています。これは和上の故郷を描いた水墨画です。東山魁夷の水墨画は、始めて観…

h-miya@concerto.plala.or.jp