宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

『判断力批判』を読む 8)構成③:美学的判断力の批判(2)美学的判断力の弁証論

 弁証論という言葉に引っかかっています。カントはDialektikを、理性による仮象の論理を批判するという意味で使います。日本語訳としては、弁証法ではなく、「弁証論」を当てます。

 Dialektikを遡ると、ギリシア語dialektikēに辿り着きます。この言葉はもともと形容詞で、後ろにテクネ―(術)やエピステーメー(知)が続いたようですが、現在、これらを省略した形で使われています。ディアは、二つの間に、という意味で「分かつ、弁別する」という意義を持つそうです。ディアレクティケーは、名詞のディアロゴス、動詞のディアレゲイン、ディアレゲスタイと関連しています。相互の話とか話し合うという意味合いになり、対話や問答、話し合いと関わっています。

 ソクラテスの問答法はディアレクティケーですが、どうしてソクラテス的対話術が弁証法と言われるのか、引っ掛かっていました。ディアレクティケーは弁証法と訳されますが、根幹には問答法とか、ロゴスの意味で議論、理論、理法に繋がります。

 ソクラテスの問答法は、単なる論争術ではなく、吟味とか論駁の意味でエレンコスと言われます。何を吟味しているのかと言えば、たましいであり、生き方そのものです。私は、問答法というものを、「真なる答え」を求めての対話、発見の技法という感じで捉えていました。ですから、ソクラテスの対話は、なんか答えの出ないものへどんどん踏み込んでいく問答(対話)で、今一つ、「これが対話?」という感じで腑に落ちませんでした。

 ですから、古東哲明さんの『現代思想としてのギリシア哲学』の「非知の技法ーーソクラテス」を読んだときは、目から鱗でした。そうか、答えを出すための対話ではないんだと、気が付きました。自分の言説の中の矛盾に気づいていく、気づかせる技法としての対話であって、その先はまさに黙する以外にない世界に向き合うことになります。

 そして、弁証法について考えていくことで、私の対話のイメージ(お互いを生かし合う)と異なって、ソクラテスの矛盾を突き付ける形の対話法はなるほど弁証法なんだと、得心しました。プラトンに関してはディアレクティケーを真理発見の技法として、捉えていたという見解もあります。

 茅野良男弁証法入門』(講談社現代新書、1969年、31頁)では、弁証法とは現実に存在する反対や対立を認識して、それを克服し、解決しようとするところに成立する考え方と言われます。

 弁証法というとヘーゲルの正反合の考え方を思いますが、もっと歴史は長いわけです。そして茅野さんは、ホールの8つの用例を上げています。その7番目に、カントの使い方が述べられていました。

 カントが『純粋理性批判』の「先験的弁証論」で述べた内容である、「仮象の論理学の批判」としての弁証論です。カントは形而上学と人間理性の弁証法を結び付けて、批判を展開しました。人間の理性は、答えのない問い(仮象)を生み出す素質があります。これを詭弁術や討論術としての弁証法仮象の論理学)として、カントは批判します。そこから、カントのDialektikを弁証論と訳すようです。

 「美学的判断力の弁証論」が扱うのは、「各人が自分自身の趣味を持っていて、趣味については議論できない」という命題と、一方で「趣味判断は個人的妥当性を持つものであってはならない、単に主観的根拠に基づくものであってはならない」という命題の対立の問題です。なぜなら、美学的判断は各自議論は出来ないけれども、単に個人的妥当性を持つものではない、つまり主観的普遍妥当性を持つと言われているからです。この趣味のアンチノミーの解決が扱われています。

 

       沙羅の木                                          山茶花

「型」と創造の関係

 今日は空気は冷たかったのですが、日差しがあったので部屋の中は暖かでした。外を散歩しても、お天気のよさが気持ちの良い一日でした。明日は寒くなりそうです。

 枝画の作家さんとお話しする機会がありました。「枝がどう使うかを教えてくれます」と言っていました。生け花でも、同じことを感じます。テキストを見たり、他の人が生けているのを見たり、先生からのアドバイスがありますが、最終的に自分の手元の花材の訴えるものに従います。それは、枝ぶりが主張している感じでしょうか。これが主役だなぁ、と感じるときは、それに従って生けていきます。枝画も生け花も、植物の声を聞くことは、同じだなぁと感じました。

 私の場合、自由花でも、テーマが先ではありません。そう言うことは稀です。花材に合わせて生けています。花材を生かす、という感じです。その意味で、生け花に関して、あまり芸術という感じがないのかもしれません。芸術というと、作家のテーマを造形するイメージがあります。習い事になっているものは、型が示され、まずはそれに従って生けます。そうすることで、それなりの作品を作ることが出来ます。でも、華道家といわれる人たちは、違っている。自分の主張を生けるわけです。

 自然美に関して、カントは「美しい」と感じることは万人に共通しているという意味で、主観的普遍妥当性を言っています。その根拠を共通感覚に置いていたようですが、美の判定は趣味判断といわれます。美の算出は「天才」を必要とします。趣味判断は共同性を前提しています。そして、天才と趣味判断がぶつかった場合、「犠牲はむしろ天才の側において生ぜざるを得ない」(判断力批判(上)』岩波文庫、278頁)と言われます。

 カントは、共同性を美の判定の根底において、趣味判断を美の算出より上位に置きます。趣味判断は共通感覚に根拠を置きますから、ある範囲でなぞることを可能にします。料理のレシピは、プロの8割の味を実現することを目指すという考え方を、『キッチン革命第1夜』(2023年3月25日NHK放送)で見ました。計量カップと計量スプーンによって、職人の経験技を数値化することで、職人の味を家庭に持ち込むことに成功した、という話でした。

 生け花の型にも、それが言えるのでしょう。

              庭の随所に拘りがありました

11月の花

 15日は七五三でしたが、12日にお参りをした人が多かったようです。12日は少し寒かったので、大変だったと思います。15日に生けたお花です。

 ヤマシダは水揚げしにくい花材です。葉の裏から霧吹きで水をあげていますが、3日目くらいで既に萎れかけてきました。エリンジュームは、別名が松笠アザミ。瑠璃玉アザミとよく似ています。カンガルーポーは目立つお花です。ヒペリカムの赤と調和がいい感じがします。

ヤマシダ、ヒペリカム(赤い実)、カンガルーポー(黄色い花)、トルコ桔梗、エリンジューム(松笠アザミ)

判断力批判』を読む 7)構成➁:美学的判断力の批判(1)美学的判断力の分析論ⅱ)崇高の分析論 

 今日は大分冷え込んでいます。明日は午後からはお天気が回復する予想。11月らしい気温になっていますが、一気に寒さが加速しています。インフルエンザの感染も急拡大です。

 さて、第1部「美学的判断力の批判」は、美学的判断力の分析論と美学的判断力の弁証論に大きく分けられます。第2部「目的論的判断力の批判」は、目的論的判断力の分析論と目的論的判断力の弁証論に分かれます。さらに美学的判断力の分析論は、美の分析論と崇高の分析論に分かれます。この崇高の分析論に出てくるのが、天才論です。また、弁証論とは何か。弁証論に関しては別に書きたいと思います。

 美学的判断力の分析論で扱っているのが美の分析論では「趣味」でしたが、そもそも趣味という観点自体にまずは違和感があります。そして、崇高がなぜ関わってくるのかも分かりません。美の創造には天才の力が必要というのは分かりますが、全体のつながり方がやはり疑問です。これらは、一つひとつ考えていきたいと思います。

 崇高の分析論は、まず「数学的崇高」と「自然における力学的崇高」について考察しています。その後に、「純粋な美学的判断の演繹」が置かれていて、趣味判断の演繹について述べられています。「美学的判断は、すべての〔判断する〕主観に普遍的に妥当することを要求する」のであり、そのためには「なんらかのア・プリオリな原理に基づいていなければならない」。それゆえ、美学的判断は「演繹(このような要求の合法性の立証)を必要とする」(判断力批判(上)』206頁)と言われます。

 主観的な判断が、すべての主観に普遍的に妥当することを要求する根拠は何なのか、まさに気になる部分です。

         2022年11月14日 茨城県立歴史館イチョウ並木

「いちょう広場」(ひたちなか市教育研究所教育支援センター)

 教育支援センターは、学校以外の学びの場として各市町村に設置され、不登校児童生徒の支援を行っています。令和5年度4月現在の茨城県における設置数は43です。ひたちなか市の教育支援センター「いちょう広場」は、東石川の教育研究所の中にあります。中央図書館の横です。

 教育研究所がいつ設立されたか、HPには載っていませんでした。ひたちなか市になったころなのでしょうか。1994年11月1日に、勝田市那珂湊市が合併しました。旧那珂湊時代、教育研究所なるものが在ったかどうかは定かではありません。直接聞きに行くのが一番早そうですが、機会があったら調べてみたいと思います。

 さて、なぜ教育支援センターなのかというと、校内フリースクールに関心を持ち始め、那珂湊中学校内に実験的に設置されたという話を聞いたことから始まります。どういう形で運営されているのか興味があります。また、不登校の子どもたち自身には、教室を変えるだけの場所というのは居心地はどうなのかも気になりました。

 「みんなの未来支援室」で聞いたら、市役所の障害福祉課を紹介され、そこからさらに教育委員会事務局指導課に案内されました。ワンストップ化が言われますが、現実には難しいですね。皆さん丁寧でしたが。

 現在那珂湊中学校内に設置されているのは「ふれあいルーム」で、絆サポーターが直接担当しています。と言っても、小学校へ出向いたりして情報収集もやっているようで、常駐という状態にはなっていないようです。しかも、一人か二人。「ふれあいルーム」は教室に行きたくない子どもの居場所。昔の保健室を思い出します。

 勝田地区の中学校では、校内で、教室に入れない生徒の別室支援をしているところもあるという話を伺いました。那珂湊中学校の「ふれあいルーム」は、ゆくゆくは校内フリースクールの形にしたいとか。ただしまだ「思い」の段階のようです。勝田地区にある教育支援センター「いちょう広場」(教育相談所内)の那珂湊版構想のようです。

 場所としては校内フリースクールはいいと思います。もっとも、子どもの気持ちの問題はあります。それ以上に、人を雇う予算が問題でしょうね。現場の先生たちにこれ以上の仕事を増やすのは酷というもの。問題を抱えている子どもたちへの対応は、それなりの訓練を受けた人でないと難しいし、効果も出ないと思います。

  2022年11月24日『ピカソとその時代展』で撮影  パブロ・ピカソ「一房のブドウのある静物」(1914年)

リーダーシップ 3)状況を組み込む➁SL理論

 SL(シチュエーショナル・リーダーシップ)理論とは、チームの状況によってリーダーは行動を変えた方が効果的であるというフィードラーの条件即応理論に対し、リーダーのLPC値が明確でない場合に、メンバーの成熟度によってリーダーの行動を変えるという考え方です。メンバーの能力や熱意に焦点を当てています。1960年代末から1970年代にかけて、ハーシーとブランチャードによって、提唱されました。

 この理論は1960年代のオハイオ州立大学で行われた研究から始まっています。アメリカの臨床心理学者フレデリック・ハーズバーグ(1923-2000)のモチベーションの二要因論と、フィードラーの適合理論の二つを説明するために作られたと言われます。

 二要因論というのは、仕事のモチベーションを決めるのは、衛生要因と動機付け要因の二つに分けて考えるべきというものです。衛生要因とは、給与や健康、対人関係、労働条件、上司の管理方式、私生活などで、仕事を続ける上での基本条件です。私生活要因というのは、出産・育児・介護などで離職する場合を指しています。これは、マズローの欲求5段階説で言う「生理的欲求」、「安全・安定欲求」、「社会的欲求」(所属と愛の欲求)の一部に該当します。

 動機付け要因とは、仕事そのものから来る「満足度」の要因です。目標達成、上司・同僚からの承認、仕事そのもの、責任、昇進、成長などのやりがいに結びつくものです。これはマズローの欲求5段階説で言う「社会的欲求」のより高次の部分、「承認(自尊)欲求」、「自己実現欲求」に当たります。

 SL理論では、組織・部下の成熟度に合わせて、指示的行動と支援的行動の割合いを変えていくという考え方を取ります。能力は低くても(学ぼうという)意欲が高いときは、指示型を取ります。仕事への習熟度が上がって、ただ意欲が今一つの状態では、説得的(指示と支援の両方とも高い)スタイルを取ります。仕事的には有能さを示しますが、自信や責任を負う意思が未成熟な段階では、指示行動を低くして支援を高くするサポート型・参加型のスタイルを取ります。仕事に習熟し、責任を負うことにも喜びを感じる段階では、指示や支援はそれほど必要ではありません。委任型のリーダーシップ・スタイルが望ましいとされます。

 SL理論はまだ、研究途上のようですが、実用的なため人事担当者などに広く受け入れられているようです。ただ、部下の能力や仕事への熱意によってリーダーシップ・スタイルを変えることで、不公平感を生む危険性があると言われます。意思疎通が十分になされている必要があります。

 その他にも、リーダーシップ交換・交流理論(1970年代~)、変革型リーダーシップ理論(1980年代~)、倫理型リーダーシップ理論(1980年代~)、さらにサーバント・リーダーシップ(互恵的リーダーシップ)と、リーダーシップ研究は変化を続けているようです。

パブロ・ピカソ『男と女』(2022年11月24日撮影)。不思議な絵。でも色合いと構図に惹きつけられます。

リーダーシップ 2)状況を組み込む➀フィードラーのコンティンジェンシー理論

 リーダーシップがリーダーの特性から、行動(スタイル)へと視点を移動したということを、以前(17日)書きました。そして次に、リーダーシップを発揮する条件に、状況を加える分析が行われるようになったことも書きました。コンティンジェンシー(偶発性)理論と言われます。フィードラーの「条件即応理論」とSL理論(「条件対応理論」)、パス・ゴール理論などがあります。

 PM理論(リーダーの行動に着目)はリーダーシップ理論としては有名ですが、業績との関係は必ずしも決定的なものとしては、定義できませんでした。業績の悪い支店にもPM型リーダーは存在しました。業績の良い支店よりは明らかに少数ではありましたが。リーダーシップをリーダー側からのみ研究するのでなく、状況からの要請とリーダーの人となりとの関係の中で探ったのが条件即応理論(フィードラーのコンティンジェンシー理論)です。この理論は、アメリカの研究者F・E・フィードラー(1922-2017)によって、1960年代に提起されました。

 フレッド・E.・フィードラーによって、リーダーシップ研究はそれ以前とそれ以後に分けられる、と言われます。彼は、オーストリアのウィーンで生まれました。ユダヤ人だったことから、1938年3月、ヒトラーオーストリアを併合すると、故国を捨てることになりました。『サウンド・オブ・ミュージック』を思い出します。彼は、上海に向かう両親と別れ、単身遠い親せきを頼って渡米しました。時代を考えても、15歳で単身アメリカへ移住することを決断・実行する、というのはなかなか凄いことです。

 条件即応理論は、LPCをもとに、状況との関連の中でリーダーシップを考えます。LPCというのは、Least Preferred Coworkerの頭文字を取っています。「一緒に仕事をするとき最も苦手な仲間」の意味です。このテストは、リーダー自身の対人関係の傾向を測定するものです。一番苦手だと思う人を一人思い浮かべて、その人をどのように評価するかを点数化します。LPC値が高い人は、最も苦手な仕事仲間でも好意的に評価する人です。「人間関係志向」の人です。これに対し、LPC値の低い人は「課題達成志向」の人です。

 リーダーの行動が分かったら、どういう状況でそれぞれが効果的なリーダーシップを発揮できるかを分析します。状況は、3つの条件で分類します。⓵リーダー成員関係、➁課題構造度(リーダーが直面している課題や、部下の職務が明確にされている度合い)、③リーダーの地位力(報酬力や人事権)。3つの条件の組み合わせから、リーダーの状況統制力を「高統制(好ましい)」、「中統制(中程度)」、「低統制(好ましくない)」に分けします。

 リーダーシップの効果は、状況によって異なることが分かって来て、高統制と低統制では、低LPCが高い業績を上げます。これに対して中統制で業績を上げるのが、高LPCです。この関係性に関して、フィードラーはブラックボックスと言っていたようです。その後、仕事のストレスが、状況統制力とリーダーのLPCによって規定され、かつ、フィードラーの条件即応モデルを裏返したパターンになることが見出されています(1985年)。例えば、状況統制力が中統制のとき、低LPCの仕事ストレスはマックスになります。条件即応モデルでは、中統制で、低LPCは業績が上がりませんでした。

                  2018年11月27日制作

h-miya@concerto.plala.or.jp