宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

決議論1)

 今日は晴れた一日でしたが、結構風は冷たかったです。中学校の桜はかなり葉桜になっていました。

 看護倫理の授業の準備を始めましたが、現場でよくある事例をどう説明していくか、導入としては触れる必要があると思っています。患者のケアを優先して考えるか、チームとしての公正さを重視して、規律を重視するか、というような問題はよく出てくると思います。

 例えば、不快そうな患者に計画外の清拭ををしてあげようと考えた新人看護師に対し、副師長看護師が疑義を呈するという場面です。その気持ちはわかるが、計画外の行動は、患者の側からするとやってくれる看護師とやってくれない看護師、というような不満感を抱かせかねないという指摘です。

 あるあるだなぁと、この事例を読んで思いました。この問題にどうアプローチするかの中に、「決議論」という言葉が出てきました。パスカルがイエズス会の決議論を批判してから、西洋思想の中ではあまり良い印象が持たれなくなったやり方です。しかし、現代の応用倫理の中で、また再考されてきているやり方です。

 決議論(casuistry)は「事例」を意味するラテン語<casus>から来ています。原則の状況への適用に当たって、典型的な事例をモデルとして考察を加えるやり方を意味します。

            4月6日の旧県庁跡広場の桜

新古典派経済学の4つの基本テーゼ:続き)

 今日も雨ふりで肌寒かったです。六地蔵の桜が気になり、寄って来ました。

 火曜日の新聞に、茨城大学の長田華子准教授が採り上げられていました。専門は理論経済学とフェミニスト経済学だそうです。ケアの問題を考えていると、制度の問題は社会正義の問題として、経済学からの分析の必要性を感じます。長田さんをお呼びしてのヒューマンライフシンポジウム2025の基調講演と、高校生を舞台にあげてのワークショップが、9月にあったそうです。ワークショップは残念ながら低調だったようです。高校生に、経済学は難しいだろうなぁと思いました。

 近代経済学の主流が新古典派で、それがケインズ(1883-1946)による修正によって雇用問題には有効な対策を打てました。少なくとも1960年代後半までは。1971年にはケインズの弟子、ジョーン・ロビンソン(1903-1983)によって、経済学の第2の危機が警告されました。失業問題を解決しただけでは、貧困や経済格差の問題は解けない。この問題に取り組むには、希少資源の私有制と実存コンテクストから切り離された経済合理人、という二つのテーゼを批判的に考察し、新しい経済学を構築する必要があると訴えました。にもかかわらず、経済学は逆流したと言われます。

 1970年代前半を境としてアメリカ経済学界は、ケインズと対立したライオネル・ロビンスの科学としての経済学の性格を強めて行ったのです。1932年に出版されたロビンスの『経済学の本質と意義』では、経済学の性質が次のように捉えられていると、宇沢さんは要約しています。

経済学は、与えられた目的を達成するために、さまざまな希少資源をどのように配分し、どのような制度的、技術的手段を選択したらよいか、という問題を考察する。このとき、さまざまな目的と選択された手段との相互関係を分析することはあっても、どのような目的を選択したらよいかという問題にかんしては、もはや経済学の関与するところではないとする。 (宇沢弘文『近代経済学の再検討-批判的展望ー』岩波文庫、1977年、85頁)

 「資源配分の効率性にだけに注目して、公正、平等などという基準を無視するのが近代経済学の立場である。しかし、このような効率性の基準のもとで資源配分を評価すること自体、じつはある特定の価値判断に基づくものである」(89頁)とあります。後者はその通りだと思います。価値判断を排除する、と判断するわけです。しかし、資源配分の問題は社会的資源配分の問題であり、効率性にだけ注目することは、本来、許されないはずです。

              雨の六地蔵(2026.4.1)

新古典派経済学の4つの基本テーゼ

 寒くはないのですが、お天気が悪く風も少しあります。桜の満開宣言がこの辺りでも出ているようですが、堪能しないうちに散ってしまわないか心配です。

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平)という有名な和歌があります。

 在原業平は『伊勢物語』の主人公と同一視される人ですが、825年に生まれています。平安時代始まりの頃に生まれました。平安時代は794年から鎌倉幕府成立(1192年)までの約400年弱続いた時代区分で、長いです。今から400年前は、なんと江戸時代初期。

 話がずれましたが、今、経済学関係の本を少しずつ読んでいます。分からない言葉が結構出てきます。経済学はアダム・スミス(1723-1790)とともに始まったと言われますが、近代経済学は、1870年代に3人の経済学者がそれぞれ独立に「限界効用理論」を提示したことで始まりました。「限界効用理論」というのは、今一つ分かりません。近代経済学は大きくマルクス経済学と新古典派経済学に分かれます。あるいは近代経済学は、マルクス経済学以外の経済学の総称とも言われます。

 この新古典派経済理論は4つの基本テーゼを持つそうです。まずは、高橋伸彰さんの論説(「経済学の貧困と経済の危機に関する一考察―宇沢弘文の思想に学ぶー」)を参考に、宇沢弘文さんの『近代経済学の再検討』(岩波新書)も参照しながらまとめてみました。

ⅰ)経済活動に必要な希少資源は私有、ⅱ)各経済主体は文化的・歴史的・社会的コンテクストから切り離された経済合理人として、自分の主観的価値基準に従って経済的利益を最大化するよう行動する(主観的価値基準の倫理性は問われない)、ⅲ)生産要素の可塑性(マレアビリティ)、ⅳ)各経済主体の利害は市場機構の調整によって解決される。

 ⅲ)とⅳ)を批判したのがジョン・メイナード・ケインズでした。ケインズは、アダム・スミスの見えざる手は前提条件が非現実的であるので間違っている、と批判しました。その結果、金融政策や財政政策を通して経済全体の有効需要を増やすことで、第2次世界大戦後25年近くは、少なくとも先進諸国での失業問題は顕在化しなかったと言われています。しかしⅰ)とⅱ)の問題にはあまり触れなかったと言われます。貧困や経済格差の問題を扱うには、ここを批判的に検討する必要があります。

 マレアビリティという言葉は、分かるようで分かりません。少しずれますが、石油の輸入先の問題をモーニングショーでやっていました。例えば、アラスカからの原油の輸入の難しさは、色々な要因があることが分かりました。積出港や海域の問題で大型タンカーが入れないこと、原油は成分比率が取れる地域で異なっていることなど、知らないことばかりでした。小型タンカーで運ぶことで割高になることや、国内の精製工場のシステムを変えなければならないので、それほど簡単ではないことなど。

 原油は基本同じと考えていたので、他の地域から持って来れるならそれで対処できるのでは、と簡単に思っていました。この話を聞きながら、マレアビリティの難しさとはこういう事かも、と思いました。転用可能性を前提に生産の問題を考えるのは、単純すぎるということでしょうね。ⅱ)の経済行動をする人を、端的に経済合理人と前提するのも無理があると感じます。人間を理性からのみ説明することが抽象的すぎることと同じに、短絡的だと思います。

                桃と桜

『未完の資本主義』

 『未完の資本主義』(PHP新書、2019年)はテクノロジーが経済をどう変えていくかを巡って、世界的に知られている7人にインタビューする形を取った本です。

 ポール・クルーグマン(経済学者)、トーマス・フリードマン(ジャーナリスト)、デヴィッド・グレーバー(文化人類学者)、トーマス・セドラチェク(経済学者)、タイラー・コーエン(経済学者)、ルトガー・ブレグマン(歴史家・ジャーナリスト)、ビクター・マイヤー=ショーンベルガー(オクスフォード大学教授・インターネット規制が専門)というメンバーです。

 グレーバーが、現代社会はどうでもいい仕事を増やしていると批判していることに納得です。面白そうな人だと感じました。電話で商品やサービスの案内をする仕事もこの「Bullshit Jpbs」だよなぁと、ほんと実感します。

 セドラチェクの「経済は成長せずとも機能することができます」(117頁)には共感しました。彼はチェコ共和国の経済学者です。『善と悪の経済学』は経済学を科学をモデルに構築してきたことを批判しているようです。

 ブレグマンが意味のある仕事について言っていることは的を得ていると思いました。「人生の意味とは何か」という問いと向き合うことで、その答えは出てくるというのです。彼は社会に何か価値を生み出す仕事に意味があり、それは私たちが生活していく上で必要なサービスを提供するものだと言います。しかし、現代社会でこのような仕事は、給料がそれほどいい訳ではありません。その意味でも、彼はベーシックインカムや社会的配当の意義を主張します。

 そして、「幸せ」という指標だけで良い人生が送れるかどうか疑問を呈します。気にかけなければならないことは、他にもたくさんあると言います。幸せに反対しているわけではないが、しあわせを唯一の基準にするのは、単純すぎると思う、と。これは明らかに功利主義批判だと受け取りました。

仕事ばかりに集中するだけでなく、お互いを気にかけ、創造性を羽ばたかせて、豊かな人生を送る。(167頁)

 『隷属なき道ーAIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働』、面白そうな本だなと思いました。 

           3月21日の木城館ステージ(頂いた写真)

寝たきり予防で健康寿命を伸ばそう

 18日のはまぎくカフェは、ブレインハートセンター院長畑中徹先生にお出でいただき、「脳卒中・認知症にならないコツPartⅡ」と題してお話して頂きました。

 畑山先生の講話は、「84ー72」から始まりました。平均寿命・健康寿命・不健康な期間の関係を端的に表す式です。

 少し正確に言うと、結果の12は女性の不健康な期間に匹敵します。厚労省のHPを見てみると、2022年時点での日本人の平均寿命は男性が81.05歳、女性が87.09歳です。平均を取ると84。健康寿命は2022年時点で、男性72.57歳、女性74.45歳で、不健康期間が男性で約9年、女性で約12年あります。男女の健康寿命の差は3年、平均寿命の差は6年で、平均寿命では男女の差が長くなっています。生命力の差が表れているのかもしれません。でも、健康寿命の差は半分で、女性の方が、寝たきり期間が長くなります。

 脳卒中と認知症で、寝たきり原因の半分以上(55%)になります。これを防げば、寝たきりになるリスクを下げられるわけです。

 脳卒中を予防するポイントが「高血圧、血糖、レステロール」(コケコッコー)。そして、 脳卒中を見つけ対応するポイントがFAST。ace、rm、peach、imeです。FASTを身体を使って覚えましょうという号令の下、みんなで繰り返しました。

 認知症には海馬の委縮が関わっているというお話で、委縮した海馬を戻すにはどうするかという話にも展開。映画の一場面でしょうか、娘と父親の会話が映像でまず流れました。バス停でバスを待つ老人と妊娠した若い女性の会話。老人は女性に何か月かを問います。5カ月という答えと一緒に、女性が涙ぐみます。老人は何が不安なのか尋ね、誰か助けてくれる人はいないのかと問います。女性は、父親と私だけで暮らしている、と。そこへバスが来て、女性が老人に言います。「お父さん、バスが来たわ」と。

 ちょっとこの場面は、考えさせられました。通常、人を忘れるのは大分認知症が進んでから、と本で読んでいたので、老人の対応の「普通さ」と違和感がありました。ただ、認知症にもいろいろあります。アルツハイマー型認知症と脳血管性認知症が、比較的よく知られています。クリスティーン・ブライデン(ボーデン)さんという方がいます。最初46歳でアルツハイマー型認知症と診断され、その後前頭側頭型認知症と再診断されました。『私は誰になっていくの?』『私は私になっていく』の著者です。再婚後の名前がブライデンで、最初の本『私は誰になっていくの?』が出版された1998年はボーデンでした。1994年に最初の夫との離婚が成立しています。ボーデンが結婚前の名前なのか結婚していた時の名前なのかは分かりません。1999年にポール・ブライデンさんと再婚しています。

 ドキュメンタリー番組を見た時も、彼女が認知症を発症しているというのが信じられませんでした。彼女の場合は、発症前の知的水準が高かったため、一見普通に見えるという担当医の解説が入っていました。しかし、クリスティーンさんが、スプーンとフォークを分けてしまおうとして、「これは私には難しすぎる。ポールにやってもらうわ」という場面がありました。そうか、と思った瞬間です。

 認知症と言ってもその種類は一つではなく、さらに症状の出方も多様です。歳を取ると共に、物忘れは増えますし、考え方や対応の仕方も頑固になっていきます。確かにクリスティーンさんの場合は、46歳という年齢から考えて、老化というより病気だということは言えるのだと思います。それでも、認知症と老化の違いって何だろうと思います。

これはAの形です。

3月の梅

 3月3日はひな祭りでしたが、雨と風が強く、寒い一日でした。幸い雪にはなりませんでしたが、あいにくの天気で皆既月食は見られませんでした。そして、あっという間に10日が過ぎました。今日は午前中お天気が悪く寒かったのですが、午後遅くから晴れ間が出ました。

 3月は何となくあわただしいです。年度末で片づけなければならないことも多く、梅が終わると次は桜の季節で、見頃に行きたいと心騒ぎます。お天気も定まらず、荒れたかと思うと晴れ渡り。

                 2026.3.4鹿島神社前の梅

『ローレライ』から川の文化史に

 2月28日の「はまぎくカフェ」は山本彩子さんと忠和子さん(伴奏)のミニコンサートでした。最初の曲は『ローレライ』、私たちもよく知っている曲ですが、まるで違う曲を聞いているようでした。

 私たちに馴染みの『ローレライ』は「なじかは知らねど 心わびて」で始まります。ハインリッヒ・ハイネの詩を、近藤朔風が訳したものがよく知られています。意味をよく知らないままに覚えて、歌っていました。音と歌詞の断片に情感が刺激されて、覚えやすくなるようです。でも、プロの方が歌うと趣が異なります。

 ローレライは、ライン川中流域の最も川幅の狭いところにそびえる約130メートルの岩山です。東京タワーが333メートルなので、3分の1強、ビルで言うと40階立てくらいです。結構高いですよね。ローレライは現代ドイツ語だと「待伏せする岩」というような意味合いになります。昔は流れが速く、水面下に岩があって、多くの船が難破しました。そこから、美しい乙女が船頭を誘惑して溺れさせる、という伝承が生まれた様です。

 ローレライは岩の名前でもありますが、伝説の美女の名前でもあります。伝わっている多くの話に共通しているのは、不実な恋人に絶望して岩から身を投げた乙女が、船頭を誘惑して水底に引き摺り込むというモチーフです。

 ライン川とドナウ川は、ヨーロッパの二大河川と言われます。ライン川はドイツを流れていて、ドナウ川はオーストリアを流れている、と覚えていました。今回改めてその流れている国の多さに気づき、日本の感覚だと県をまたいで川が流れているんだと思いました。

 ライン川はスイスのアルプスが源流で、ドイツ、フランスを抜けて、オランダから北海に流れ込みます。全長約1230㎞。ドナウ川はドイツの黒い森(シュヴァルツヴァルト)から発して、オーストリア、ハンガリー、ルーマニアを流れて黒海に至ります。全長約2850㎞。この二つの川は、1992年に完成したマイン=ドナウ運河(ドイツ南部)で繋がっています。全長約171㎞。これによって北海と黒海が航路で繋がりました。構想は8世紀からあったようですが、着工したのは1921年です。

 ライン川はヨーロッパの経済の川と言われ、ドナウ川はヨーロッパの中央を東西に横断して文化を繋いできた文化の川と言われます。川の文化史というのも興味深いです。

             2026.2.28のスプリングコンサートから

h-miya@concerto.plala.or.jp