6日は、夜中から明け方に雨が降ったようですが、昼過ぎから陽が射してきました。でも風は涼しかったです。昨日は朝から日差しが強いかったですが、今日も同じように日差しが強く、外に出るとじりじり焼かれる感じがします。
さてマルクスが描き出した資本主義の世界では、適正な価格で商品が売られています。「商品の価値とは、商品それ自身の内に秘めている労働量のこと」(252頁)です。ここで言われる労働量は直接の生産に関わるものだけでなく、機械を製作するのに用いられたものや他の商品にまたがってかかる総労働量も含まれます。この完全なシステムの中では、あらゆるものは最終的に労働に還元されます。機械の材料はどう考えるのかと思いました。自然物を採掘する労働は分かりますが、物自体の価値はどう考えるのでしょうか。これは、クエスチョンで残します。
労働者と資本家が資本主義のドラマの主役です。資本家とは生産に必要な機械や設備などの生産手段を所有する者であり、労働者とは自らの労働力のみを所有し、それを販売する存在です。労働者は、彼が生存するのに必要な金銭(生存維持賃金)で賃金を要求します。一人の労働者を維持するのに必要な社会的労働時間を1日6時間の賃金だとすると、彼の「価値」はその賃金になります。剰余価値は、その賃金で、彼が一日8時間労働の契約を結ぶことで生じます。2時間分が資本家の利潤になります。この不払い労働分が「剰余価値」です。
なぜ労働者は余分の時間を働くのか。それを資本家が望むからで、その時間だけ働かないと、仕事を得られないからです。しかし資本家も資本家同士の競争にさらされています。資本家は利潤を得ますが、これを蓄積しながら生産規模の拡大を図ります。生産規模の拡大はより多くの労働者を必要とし、労働者獲得競争の結果、労働者の賃金が上がります。逆に、剰余価値は下降傾向をもちます。そこで資本家たちは賃金の高騰に対処するため、機械を工場に導入します。しかし機械は剰余価値を生まないので、結局、剰余価値は下がっていきます。
破産が続出し、商品価格のダンピングが行われ、小さな企業から倒産し、労働者は仕事から締め出されるので価値以下の賃金に甘んじざるを得なくなる。機械もダンピングされるので、強い資本家たちは機械を真実価値より安く手に入れ、剰余価値が再び現れ、前進が再開されます。危機が生じるたびにシステム能力の拡大が蘇生され、また危機が訪れ、大企業が小企業を吸収し、そしてついてドラマの終幕が訪れる、というのです。
マルクスの史的唯物論が弁証法的、ということが理解できました。史的唯物論は、現実を生産関係と生産手段から捉え、それを歴史の展開にも応用します。その展開が弁証法的に分析されています。
マルクスは剰余価値から成る世界の崩壊を描きましたが、その先にどのような未来が描けるかには言及していません。その後継が「無階級」社会であろうということしか言っていないと。
「社会主義」という過渡期には「プロレタリア独裁」が行われ、その後に「純粋」共産主義にとなるであろう、というだけである。 (263頁)
ハイルブローナーは、現実の世界は「価値」から成り立っているのではなく、「価格」という現実の手ざわりあるものから出来上がっている、と言っています。さて、これはどういう事か。ここでマルクスは誤りを犯し、後日、後進がこれを込み入った数学を用いることで「正す」ことができたが、この誤りを指摘した批評家たちは興味を示さなかった、と述べられています。

6月30日の空