宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

認識論的転回2)ジョン・ロック

 認識論的転回とは、デカルトに始まる近代哲学が、存在論中心から認識論中心へとその軸足を移動したことを言います。そしてこの動向は、カントの批判哲学で頂点を極めたと言われています。

 ジョン・ロック(1632-1704)はイギリス経験論哲学者で、イギリス人のものの見方、考え方の現代まで続く伝統の発端になった人と考えられています。お父さんは法律家で、幼少期には厳しく、成長につれジョン・ロック人間性を尊重し、成人した後は、友だち扱いをしました。この体験がロックに深い感銘を与えたと、のちに語っています。

 ロックは、人間のあらゆる観念(心の直接の対象)を検討し直して、「①人間はどこから観念を得るのか。そして、②感覚が語るものを信頼してよいのか。すなわち世界は私たちが感じるとおりのものか」を問いました。ロックは、生得の真理がそのまま心に記されるという素朴生得観念論を批判し、観念はすべて経験から生まれると考えます。私たちの意識はタブラ・ラサ(白紙)です。どういうことか。

 生得観念の存在は、ある原理や観念が普遍的に承認されているという事実によって示されていると、通常、主張されています。しかしロックは、このような観念や原理を否定しました。たとえば、同一律(AはAである。いかなるものも、あるものはある)や矛盾律(AがAであり、かつAでないということはない)はまあ普遍的に承認されていると信じられています。しかし、大部分の人は知らないし、子どもや知的障がい者は、これらの原理について最小の理解さえ欠いているのが事実です。

 では生得的を、理性を用いるようになった時にそれらを知り、同意するという意味に解するとどうか。しかし、理性を用いることによってわれわれが発見することが生得的であるとすると、生得的な原理と、理性がこの原理から導き出していくこととの間に何の違いもないことになってしまいます。数学の公理も定理もすべて生得的になってしまう。ということで、生得観念は否定されます。では観念はどういう風に獲得されるのか。

 ①ロックは知覚と内部感覚によって単純観念を得ると考えました。感覚器官への衝撃が、色、音、味や形や大きさなどの知覚を生み、観念が得られます。また心の中を振り返って(反省)して心の働きや感情の観念を得ます。これらに対して知性は受動的です。しかしこれらの単純観念を心が蓄えると、新しい複雑観念を好き勝手に作ることができます。観念同士を突き合わせて、それらが一致するかとか、どういう関係にあるかを知覚することで知識が得られます。では感覚は外の世界をとらえているのか。

 ②ロックは当時の先端の科学的発想である粒子仮説(この世界は粒子と真空からなる)を取ります。粒子は色や味は持ちません。それは、かたち・大きさ・数・静止しているか運動しているかなど、量的なものだけで、これをロックは1次性質とします。物体がどんな状態にあっても、その物体からどうしても分離できないものです。これに対し色や味、音、匂いは、対象の感覚し得ない部分の大きさ、形態、組織及び運動によって私たちのうちに生み出されるもので、生み出す物体の能力が2次性質と言われます。「物質に第二性質を押し付けることはできない」。2次性質は、それぞれの感覚器官の造りに応じて異なります。物理学の対象である光の波長と人間が知覚する色は必ずしも一致しません。緑の波長は緑の知覚をもたらしますが、緑に知覚するもの、必ずしも緑の波長になりません。むしろ音の方が、事物の特性と知覚の一致は言えます。

 この1次性質、2次性質の考え方は面白いと思いました。しかし、G.バークリ(1685-1753)は、感覚を論じるときに外界の対象を前提する不徹底を批判し、神が存在するすべてのもののたった一つの原因という考え方に至ります。I.カントもまた、ロックの認識論は不徹底だと考えたようです。 

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