宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

認識論的転回3)イマヌエル・カント

 昨晩、雨が降っていました。今朝は晴れていて、暖かでした。ただ北陸方面の雪は大変で、タンクローリー車が到着しないので、ガソリンスタンドでの販売に困難が生じているようです。コンビニエンスストアにも品物が届かない。自然の力は、私たちの生活を直撃したとき、やはりそれに震撼させられます。科学技術の発展がもたらした便利な生活が、脆さと裏表であること。それは2011年の3月11日の東日本大震災の経験でもありました。でものど元過ぎれば、になっているなあとちょっと反省しています。

 さて、1755年のリスボン地震は、地震に無縁だったヨーロッパ人を「震撼」させたと言われます。イマヌエル・カント(1724ー1804)も然り。この大地震をめぐって翌年三つの論文を書いています。このとき以来、礎石の耐震性はカントの重大関心事になります。 

 建物の礎石を据えること。建物が建ってしまえば、地下に隠れてその存在が意識されることもありません。建物の値打ちは通常その使い勝手のよさや外見で測られます。しかし建物の真価が問われるのは、地震などの危機に直面したとき。そのとき始めて人は、基礎が建物の真価を決定していることを思い知ります。

 カントの墓碑銘に刻まれた言葉は、カントの心を支配し続けたものを表しています。曰く「いや増す新たな感嘆と畏敬の念とをもって私たちの心を余すところなく充足する、すなわち私の上なる星をちりばめた空と私のうちなる道徳法則」(『実践理性批判』結び)。

 『道徳形而上学原論』(1785)も道徳に最高の「耐震基準」を設ける試みでした。なぜなら「最高の規範を欠くと、道徳そのものが堕落〔倒壊〕する恐れがある」。世間には、偽善に代表されるような見かけの道徳、「仮象道徳」(手抜き工事の上に成り立つ道徳)が潜んでいて、このような仮象道徳が気が付かないうちに道徳を腐敗させます。

 カントの三大批判の最初のもの、『純粋理性批判』(1781)の立場をカントはコペルニクス(1473―1543)の思考法と同一のものとします。「[われわれの]認識が対象に従うのではなく、むしろ対象の方がわれわれの認識に従わなければならない」(『純粋理性批判』第2版序論)

   一見主観主義と捉えられかねませんが、しかし、コペルニクスの天動説から地動説への逆転の意図が、天体の運動をより正確に記述すること、見かけの運動の原因を見破ること、「仮象」を見抜くことにあったように、カントの意図もそれと一致します。ここに至るきっかけは、カントがヒュームの『人性論』を読んで大きな感銘を受けたことにあります。

 ヒュームは因果律を、ア・プリオリ(経験に由来せず、普遍性と必然性を持つ)な客観的法則ではない、単なる連想の産物であると批判しました。因果律(しかるべき結果はしかるべき原因によるという法則)は、近世の自然科学に代表される合理的認識を支える最も基本的でア・プリオリな法則の一つです。

 ヒュームの因果律批判は、因果律の実効性批判ではなく、因果律を「神、自由、(魂の)不死」という形而上学のテーマに適用することを拒むこと以外ではない、というのがカントの解釈です。ヒュームはカントの独断のまどろみを破った、とカント自身が評価していますが、つまり、独断の仮象(主観的なものが客観的なものと混同されることによって生じるもの)を仮象と見抜けるようになった、ということです。

 つまり、認識の客観性を表す条件とされているものも、単なる主観の性質かもしれない。そのように想定して、純粋理性の矛盾(理性のアンチノミー)が解決されれば、それは認識における客観性の条件の仮象性も明らかになる。その条件とは、認識の対象に不可欠の空間と時間。空間と時間は通常は物のありのままの姿(物自体)を反映する条件とされている。しかしそのような当たり前な見方を普遍化すると、理性が自己矛盾に陥り(理性のアンチノミー)、逆に空間と時間を主観の性質と想定すると、自己矛盾が回避され、解決されるとすれば、その想定はーー常識感覚から非常識に見えようとーー正当であろう、ということです。

  カントが仮象という言葉を使うとき、それは「物自体」と対をなしています。この「物自体」を人間は認識できません。人間の認識とは、「物自体」から触発されて心の中に表象ができることなのです。そのときに直観の側のエレメントになるのが、感性が時間と空間という形式をもつことです。だから物が時間と空間の中にあるように感じ取られます。感じ取られたものを、知るためには、人間の知性(悟性)の持つ固有の枠組み、純粋悟性概念、カテゴリーが働きます。

 空間・時間という窓口から与えられた素材が、カテゴリーによって処理されてはじめて有意味な認識が成立します。因果律もそのようなカテゴリーの代表例なのです。カテゴリーは経験から得られるものではない、経験を可能にする概念です。それは悟性が経験を把握する仕方という意味での概念。概念(Begriff)は、把握する(begreifen)の名詞化したものです。

 例えば因果律という概念は経験概念ではありません。因果性の概念はどこにも見出せません。「石」や「地面」、「手」、「落下」を知覚するように「因果性」という概念を知覚することはできません。ヒュームはだから因果律を習慣に基づくもので、自然法則自体は経験できず、誤った推論があると言いました。これに対しカントは、因果律が経験の中にあるのでないということを認めますが、経験を把握しようとするわれわれの悟性(考える能力)に宿る機能と解する以外にない、と解釈したのです。

 このようなカテゴリー発見に、カントは「判断表」を参考にします。あらゆる判断形式を枚挙し、それに対応するカテゴリーも発見できるとして、カントは判断形式を12に還元し、それに対応してカテゴリーも12発見しました。量・質・関係・様相の大きく4つのカテゴリーの中にそれぞれ3つずつの判断形式があります。「すべてのAはBである」とか「もしAならBである」というようなものです。

 カテゴリーは悟性に固有なア・プリオリな概念ですが生得的観念ではありません。カントの「ア・プリオリ」は「経験に先立つ」、「経験に由来しない」ということで、そのメルクマールは「普遍妥当性」と「必然性」をもつことなのです。生得的でもなく、獲得的(経験的)でもない第3項としての根源的獲得。神から与えられたのでも経験から獲得したのでもない。悟性がその自己活動によって悟性自身から獲得したものです。カテゴリーは悟性自身に根源を持つ概念なのです。要は、こういう風に考えているでしょう、を明確にしたということです。根源的獲得、というのはまたすごいアイデアです。

 ここで認識論的転回を概括しておきます。

 「デカルトが認識論的哲学の道を開いた。そして、ロックが、認識論の課題を明確に提示し、それを意識的に遂行しようとした。そして、カントが、認識論の性格を望ましいものに変更することになった。こうして、近代認識論の基本構造が出来上がった」(冨田恭彦『科学哲学者 柏木達彦の冬学期』125頁)

 

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