宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

直に向き合うことの重要性

 紆余曲折をへて、漸く母の(吐き気が止まらない)という症状の原因と思われるものが特定されました。原因が分からない9日間は、不安と疲労がたまっていく状態でした。担当医師からの説明を求めても、時間が取れないということで会えませんでした。これっておかしいですよね。原因を特定するための検査をやってくれていても、それに関して家族は十分な説明がもらえませんでした。

 インフォームド・コンセントが、ただ形だけのものになっている気がしました。原因が分からないなら分からない、ということを直接伝えることは、重要なことのはずです。話をすることで担当医の人柄を感じ取れるし、それが患者や家族と医者との信頼関係を築く始まりだと思います。基本にある人と人との関係の重要性を、医者は時に忘れるのかもしれません。

 病気を診て病人を診ない、という言葉は以前から言われているものです。病気を診ることに一生懸命になるのは必要なことでしょうが、病人やその家族を診れないと、信頼関係はできません。人間の身体は分からないことが多い、というのは医者は実感していると思います。それは、母の最初の担当医の方も分かっていると感じました。でも、家族や患者とじっくり話すことの意義は、分かってないなあと感じました。最初の検査の段階で原因が特定できなくても、それについて説明してくれて、これまでの病歴についてきちんと聴いてくれていれば、もっと早く、原因特定ができたと思います。

 おそらく対面関係の間合いの取り方を、あまり体験しないまま来てしまったので、話すことが億劫なのかもしれません。携帯電話やスマホが登場し、メールのやり取りでことを済ませるようになった現代、対面関係が苦手な人が増えていると言われます。対面関係の情報の多さを上手く処理できない、そういう訓練がなされ難い状況ができているのでしょう。

 しかし、客観的と感じる数値情報は、生の現実の豊饒性を切り捨てることで成立します。論理的に考え、物事を処理するとき、客観的情報化が必要ですが、その客観化をただ既存のやり方に従ってやっているだけでは、重要なことが捉えられないことがあります。自分の感受性を全開にして対象と向き合う重要性が、忘れられている気がします。これはエネルギーを使うし、おそらく無駄だと感じることが沢山あるでしょう。でも観てとる、聴きとることにまず全力を注ぐこと、そこから自分の感受性によって一次情報の収集がなされ、これこそ、対象についての「知識」の真の土台になるものではないでしょうか。

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