宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

『判断力批判』を読む 15)趣味判断批判からの美の定義

 美的判断が主観的というのは、何かを美しいという判断は、対象に言及しているのではなく、自分の感情に言及しているからです。「これはバラです」は客観的対象認識ですが、「このバラは美しい」は自分の感情を述べています。主観的というのは、そういう意味です。そして、たまたま、誰かがその判断をしたとして、それは万人の持つ認識能力を誰かが行使したということで、他の誰かがその能力を使っても同じことが言われるということです。そのために、普遍妥当性が言われます。

 趣味判断の批判は4つのモメントからなされています。質による定義は、美とは「関心なき適意」というもの。量による定義は「主観的普遍妥当性」です。美とは個別による判断です。単称判断にもかかわらず普遍妥当性を持つのはなぜか、ということなのですが、これに対しては、「主観の表象作用そのものの普遍的な伝達可能性」が言われています。ここが肝の一つですね。関係による定義では、「目的なき合目的性」が言われます。様態による定義では、「主観的必然性あるいは必然的適意」が言われますが、その根拠になるのが、共通感(Gemeinsinn)です。

一つひとつ考えてみたいと思います。

          2024年2月11日芸術館タワーのライトアップ

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