宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

『判断力批判』を読む 16)三つの適意と趣味判断の「質」

 今日は曇ってはいますが、かなりの暖かさ。明日にでも春一番が吹くのでは、と言われています。

 趣味判断の第1のモメントである「質」。まず何かを美と判定するとき、そのものを認識する表象を、構想力によって主観と主観の快・不快の感情と結びつける、と言われます。この表象と快・不快の感情の関係は、客観的ではなく、「主観が、表象によって触発されるままに自分自身を感じるにすぎない」〔4〕のです。その時、適意(気に入る)や不適意(気に入らない)が生じますが、美とは一切の関心と関わりなく適意の対象となるもの、と言われます。

 趣味とは、ある対象もしくはその対象を表象する仕方を、一切の関心に関わりなく適意或は不適意によって判定する能力である。そしてかかる適意の対象が即ち美と名づけられるのである〔16〕。  

 適意(気に入る)には、まず関心と結びついているもの、つまり欲求能力と結びついているものが二つあります。一つは、快適なものであり、もう一つは善いものです。快適なものとは感覚的刺激による適意を伴い、善いものとは純粋な実践的適意を伴うもの、その客観的価値が承認されるもの、と言われます。これに対して趣味判断は、単なる観想的判断、現実がどうであれ単に対象の性質を快・不快の感情に引き当てるだけの判断である〔14-15〕というのです。

 こういう性質が、「無関心的でかつ自由な唯一の適意」〔15〕と言われます。快適さは情意的的傾向に関係し、美は恩恵と、善は尊敬と関係します。「そして恩恵こそ唯一の自由な適意」〔15〕なのです。

 この利害関係や傾向性から自由であることから、適意の根拠が個人的なものではないことを認めざるを得ないことになります。彼の適意の根拠は個人的なものではなく、すべての人に対する適意の根拠(普遍性)が含まれていなければならない、と考えざるを得ない〔17〕と言うのです。

 成程無関心・一切の関心に関わりなく(ohne alles Interesse)とは、こういうことかと思いました。ここからは趣味判断の第2モメントの話になります。

                 2023年2月20日撮影

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