宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

『判断力批判』を読む 13)判断力の原理が問われる領域:美の判定

 月曜日の関東に降った大雪、ニュース映像で東京の雪の様子が流れましたが、東京は雪に弱いですね。もう35年以上前になりますが、東京にいた頃、大雪に見舞われたことが一度だけありました。長靴を持っていなくて、簡単なブーツで滑ったことを覚えています。

 さて、そもそも判断力批判はなぜ書かれたのか。純粋理性と実践理性の間に判断力を入れた理由は何か。この書は、最初は「趣味判断の批判」として構想されたと言われます。カントは美的判断を趣味判断と捉えていますから、美的判断とは何か、ということだったのでしょう。美とは何か、から始まって、有機体の目的論的判断力の自然の合目的性と同一の原理であるという構想を持つに至った、と言われます。

 第2版以降の序言によると、判断力の原理が問題になるのが、自然或は芸術における美と崇高に関する判定だと言われます。悟性概念の適用に関して働く判断力は、いわゆる規定的判断力であって、自らのア・プリオリな原理は必要としません。普遍(悟性概念)が与えられていて、そこに特殊を包摂していくときに働く判断力だからです。

 美学的判定に関する認識能力(判断力)は、ア・プリオリな原理に従って快・不快の感情に直接関係すると言われます。しかし、この原理は、欲求能力の規定根拠となりえるところのものと、混同されてはならないとも言われます。快・不快の感情の原理と欲求能力の原理は区別されています。

 美の判定が普遍妥当性を要求できるのはなぜか。何を根拠に要求できるのか。17世紀後半のフランスで、「『良き趣味』は古代の作品の普遍妥当性を主張する際に、美の絶対的な価値基準として用いられる」(山本定祐、16頁)というような、趣味の用いられ方に関してです。『良き趣味』とはどのような特徴を持つのか。カントは、主観的条件である心情状態の普遍的伝達可能性と、その表象の適意(気に入ること)が利害関心を離れているかどうかにある、と言っていると考えられます。これはこれからもう少し詰める部分です。

 適意は快適なもの、美しいもの、善いものという3種類に分けられ、美しいものだけが、「あらゆる利害関心をはなれて」いると言われます。他の二つは、関心と結びついています。

 以上の事が、趣味判断の質、量、関係、様相の4つのモメントから考察されています。次にこの趣味判断の問題を考えていきたいと思います。

            弘道館公園の梅(2月8日)

h-miya@concerto.plala.or.jp