宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

『判断力批判』を読む 4)構成➀:反省的判断力ⅱ

 今日はすっかり涼しくなりました。ちょっと肌寒いくらいです。雨もパラついていました。夜の海まで少し散歩しましたが、さすがに今日は、散歩している人も見かけませんでした。

 さて、反省的判断力の原理はどこから来るのか、という問題です。端的に「自分で自分に法則を与える」と言われます。ただしこの法則は、自然に与えるものではないので、私たち人間の側の先験的(経験に先立つ)原理と言われます。カントは、経験的原理同士の間に、序列関係を考えています。

それだから反省的判断力は、かかる先験的原理を自分自身に法則として与え得るだけであって、これを外部から得てくることも(もしそうだとしたら、この判断力は規定的判断力になってしまうだろう)、この原理を自然に指定することも出来ない。自然法則に対する我々の反省は、こちらから自然に適合することを建前とするものであり、自然が我々の側の条件に従うのではないからである。ⅩⅩⅦ.『判断力批判(上)』岩波文庫、1964年、37頁

 岩崎武雄氏は、カントの反省的判断力の先天的原理を「自然の合目的性」(『カント』勁草書房、1958年、249頁)と言います。私たちの自然認識には(直観の多様を悟性の規則のもとに包摂する)規定的判断力が働きますが、それだけではないのです。それで整理できなものがあり、経験的な自然法則相互の関係を探って、そこに体系を見出そうとします。もう少し具体的に言うと、どういうことでしょうか。

 石川文康氏は『カント入門』で、動物の胃と植物の根の例を出しています。一見似て非なるこの二つの共通性を、栄養を摂取するという目的に向けられた機能と見て取ります。すなわち、「それらは栄養摂取という共通の『合目的性』(普遍)に包摂される」(ちくま新書、1995年、192頁)と言うのです。

 私たちは自然に合目的性が存在するように考えることで、叡智界(自由意志の領域)と感性界(因果律の支配する経験の領域)の間を調和統一できる可能性が出てくると岩崎武雄氏は述べます。ここの部分は、後でもう少し考えてみたいと思います。

 さて、自然に合目的性が存在するように考えるときの、考えるやり方に二つあると言われます。それが美しいものの場合と有機体の場合だというのです。後者は分かるのですが、前者の美しいものの場合における、合目的性については、もう少し丁寧に考えてみたいと思います。美を感受する場合も、合目的性から考えるって、どういうことか。

 美しいものの合目的性を扱っているのが、「第1部 美学的判断力の批判」の部分であり、有機体の合目的について扱っているのが、「第2部 目的論的判断力の批判」の部分です。順次、考えていきたいと思います。その前に、道徳と美的なものへのカントの態度について考えておきたいと思います。

    2023年9月29日の満月。中秋の名月(旧暦8月15日)が次に満月になるのは7年後だそうです。

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