宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

『判断力批判』を読む 11)構成④:目的論的判断力の批判―目的論的判断力の分析論・弁証論

 ここからは第Ⅱ部です。第Ⅰ部が、美学的判断力の批判でしたが、目的論的判断力とは、自然に合目的性が存在するように考えるときの、第2のやり方である有機体の合目的性に関係します。伝統的に自然の在り様にも、目的因から考える考え方がありました。アリストテレスの第一原因(不動の道者)の考え方などがそれです。

 目的論(Teleologie)という言葉はギリシア語のテロス(目的・終局)から作られたドイツ語の単語で、クリスチャン・ヴォルフ(1679‐1754)によって作られ、1728年の自著で導入された単語のようです。機械論と対置されます。

 機械論は古代ギリシアからある考え方ですが、デカルトの「動物機械論」、ラ・メトリーの「人間機械論」が有名です。心や精神、魂などの概念を用いずに、その部分の決定論的因果関係のみで説明する立場のこと。カントは有機的存在者に関しては、機械ではないという言い方をしています。なぜなら、有機的存在者は、自己形成する力を持つからです。自ら成長していくといったらいいでしょうか。この力は、単に動かす能力(機械的組織)では説明できないと言っています。

機械は動かす力を持つだけだからである。有機的存在者は、それ自身のうちに形成する力を具えている、(‥筆者中略‥)

 有機的所産における自然とその能力とは、技術に類似するものと言われているが(‥筆者中略‥)もしそうだとしたら、我々は自然のほかに技術的工作者(理性的存在者)を思いみることになる(‥筆者中略‥)むしろ自然が、自分自身を有機的に組織するのである。(判断力批判(下)』36頁。太字部分は強調点の部分。強調点が打てないので

 なるほど、自然の主観的合目的性の想定根拠が分かりました。機械論との対置だったわけです。では、有機体の合目的性を想定するときの、仮象の論理とは何か。これが、「目的論的判断力の弁証論」で扱われていることです。

 判断力のアンチノミーとして提示されているものは、「物質的な物の産出はすべて単なる機械的法則に従ってのみ可能である」という正命題と、「物質的な物の産出のなかには単なる機械的法則に従うのでは不可能なものがある」(判断力批判(下)』58頁)という反対命題です。

    姫ミズキ、ラナンキュラス、マーブルホワイト、オクラレルカ(葉物)

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