宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

『判断力批判』を読む 10)悟性と理性の使い分け

 昨日は、風は結構冷たかったですが、日差しがあったので、それほど寒さを感じませんでした。今日は小雨降る寒い日になっています。天気予報では、雨は降っても、気温は高め予想でした。明日は曇りですが、それほど寒くなさそうです。週明けは、一気に冷える予報。

 さて、私たちは、理性という言葉を通常、感情的と対比して使います。冷静に道理に従って考える力を、理性と言っていると思います。悟性という言葉は、一般的には使いません。

 理性はVernunftの訳であり、悟性はVerstandの訳ですが、悟性を知性と置き換えて訳し、理解する傾向もあります。

 カントの『純粋理性批判』では、悟性は固有の形式をもっていて、感性を通して表象されたものを概念として把握します。understandingという英語は、分かり易いですね。対象を理解する、把握するのが悟性。カントの考え方では、人間の悟性には、悟性側に把握の形式があります。この固有の形式が、純粋悟性概念、カテゴリーです。

 カテゴリーは量・質・関係・様態に分かれ、それぞれがさらに3つに分かれます。合計12になります。このカテゴリーはギリシア哲学、特にアリストテレスに遡ります。アリストテレスでは10に分けられ、存在の基本的性質を表わしていました。カテゴリーについては、「6)美の分析論」の所でも触れましたが、再度まとめ直したいと思います。

 では、理性は、どのような働きをするのか。理性は、ラテン語のratioからギリシア語のロゴスに遡れます。推論や論証能力と関りがあることが分かります。英語で理性はreasonであり、理由を問題にする能力、と考えてよいと思います。

 「なぜ?」と問う能力であり、「なぜなら」と答える能力です。そしてこの問いは、どんどん遡ります。アリストテレスの幸福が最高善という考え方は、「なぜ、何のために」を問い続けて「幸福になりたいから」まで辿り着いたら、それ以上は問えないということを言っています。つまり、「幸福になりたいのは何のため?」は「幸福になりたいから」で終わるということ。手段と目的の問いの極限に「幸福」が来るということです。

 こういうのが、理を通していく、といわれる理性の性格です。最高善も理性が生み出した概念という意味では、理性概念=理念と言えます。

理念は理性固有の本性や関心から理性自身によって生み出され、現実世界に合理的な脈絡をつけるために、現実世界のかなたにいわば「投影」された像にほかならない。それは現実世界を合理的に読み解くためには、はなはだ有効であり、それどころか不可欠でさえある。(石川文康『カントはこう考えたーー人はなぜ「なぜ」と問うのか』筑摩書房、1998年、25頁

 ただしこの理性概念は、推理の間接性が高くなるほどに誤る可能性が高くなる、という問題を孕んでいます。理念の必要性とその危うさ。カントが『純粋理性批判』の思索過程の発端として取り上げた四つのアンチノミーは、まさにそのような理性の危うさを象徴しています。このアンチノミーについては、別に書きたいと思います。

 

           2023.12.6撮影。勝田駅のイルミネーション

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