宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

カントの統制的理念

 インクルーシブ社会の話を授業の中でしたときに、ある学生さんの感想に、障害を持っている人への差別を無くすことは現実には難しい、という意見がありました。差別を無くして共同社会(インクルーシブ社会)を実現するというのは、現実には達成不可能なものと言えるかもしれません。しかし、現実に達成不可能なものは、間違った目標なのでしょうか。

 イマヌエル・カント(1724-1804)は、理念の統制的使用という考え方を出しています。理念(イデア)とは、カントの用語としては、純粋性概のことです。西洋哲学では対象を理解する能力が悟性であり、その理解をもとに推論するのが理性と捉えられています。カントにおける感性、悟性、理性の使い方で言うと、まず、感性能力が物自体に触発されて、時間・空間という直観の形式で多様な現象を受け取ります。それを人間の心のうちにあらかじめ備わっている把握形式、量・質・関係・様相という観点で捉えます。この把握形式(判断形式)が純粋悟性概念=カテゴリーと言われます。対象を理解する(understanding)というのは、AはBである、というような判断を行うことです。理性はこれら概念によって抽象的思考を展開する能力のことです。

 悟性によって現象を把握しているだけでは、世界に統一感はありません。人間以外の動物には悟性はあっても理性はないと言われます。ですから、直接的認識(悟性)によって現在の客観に対応できますが、未来や過去という抽象的認識によって計画的行動ができるのは人間だけと言います。理性は、悟性認識を統一へ導くと言われます。

 この理性が超越論的原理として据えるのが理念なのです。

私は理念を、それに合致するいかなる対象も感官において与えられえない必然的理性概念と解する。‥‥(筆者中略)‥‥この理念は勝手気ままに仮構されたものではなく、理性自身の本性によって課せられたものであり、だから必然的に全悟性使用と連関する。最後に、この理念は超越的であり、すべての経験の限界を超え出るのであって、それゆえ経験においては、この超越論的理念に十全に適合するような対象は、けっしてあらわれえない。(カント『純粋理性批判』A327)

 このような理念は統制的に使用されるべきであって、構成的原理と見なしてはならないとされます。キャスリン・ブラウンはカントの人間性の概念をこの統制的理念と解釈しています。パーソン論に見られるような理性をもって人間の尊厳の基本とする、という立場に対し、カントは人間の尊厳を個々人の理知性に依存させなかったと言うのです。なぜなら理性能力は個人において十全に発展しうるものではないからです。十全な発展のためには無限の学習過程が必要ですが、人間は死すべき存在です。それゆえ、人間の理性能力の実現は「人類史の目標であり課題である」とブラウンは述べます。

 実現不可能だが現状に対する批判の源泉であり、向うべき目標を占めす統制的理念と、何かを現実化するための構成的理念とは区別されます。人間の尊厳という統制的理念に基づいて、発達障害学習障害への支援は構成的理念として出されている思います。                                             

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