従来の障害者支援の考え方は、 障害者の福祉の増進が基本でした。しかし、改正障害者基本法では、すべての国民が障害の有無によって分け隔てられることなく、お互いを尊重し合って共生社会を実現することが掲げられています。2011年改正の障害者基本法にはこう謳われています。
第一条 この法律は、全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのつとり、全ての国民が、障害の有無によつて分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関し、基本原則を定め、
いわゆる健常者と言われる人たちも、社会生活を営むためには多くの支援を受けています。それは自然災害などにあって生活のベースが崩れたとき、否応なく自覚します。電気がつかない、水が出ない、道路が崩れている、川が氾濫している、物流が止まって日常生活用品や食料が手に入らない、こういうことで私たちの普通に回っている生活は途端に破綻します。インフラと言われているものの破綻がどういう事態になるか、3.11で私たちは経験しました。これらは、一人ひとりが自分で何とかしているもの、何とか出来るものではありません。
障害を持っている人たちは、さらに別のものが必要だということです。社会制度は障害のない者を基準に設計されていますが、それとは異なった状態の人への配慮が「合理的配慮」と言われます。条約や法律における「合理的配慮」の定義は次のようになっています。
障害者権利条障害(2006年国連総会採択、日本は2014年批准)
第二条 定義
「合理的配慮」とは、障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。
障害者基本法 (2011年改正)
第四条 何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。2 社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存し、かつ、その実施に伴う負担が過重でないときは、それを怠ることによつて前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がされなければならない。
ここでのポイントは二つあります。合理的配慮は「必要かつ適当なもの」であることと、それが「均衡を失した過度なものに成らないこと」 ということです。まず本人が必要としているものでそれが適当な配慮であることが挙げられます。障害者権利条約は、「私たち抜きに私たちのことを決めないで(Nothing About Us,Without Us.)」というスローガンのもと、多くの障害当事者が条約成立過程に直接関わったという経緯があります。障害者基本法の成立に当たっての推進会議には、やはり多くの障害者が関わりました。合理的配慮とは、周りが忖度するのでなく、本人が必要とするものなのです。
もう一つのポイントが、配慮が他の人の生活や活動に困難を生じるほどの影響がでるような過重な負担は合理的ではない、ということです。
そして、障害者権利条約と障害者基本法を実効性のあるものにするために制定された法律が「障害者差別解消法」(2013年)です。正式名称は「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」と言います。ここでは、障害者から障害による社会的障壁の除去要請があった場合、その合理的配慮提供を行政には義務、事業者には努力義務と定めています。
公共施設にスロープ等が普通に設置されるようになりました。これは合理的配慮の良い例です。公共トイレも新しく作られているものは、車椅子で楽に移動できる通路の広さやトイレ空間の広さを確保しています。