晴れて気持ちのいい一日でした。14時から佐川文庫木城館で、大津良夫さんによる講演会がありました。大津さんは佐川一信さんより15歳下で、佐川さんが市長に就任した時には水戸市役所の若手職員でした。企画課に所属していた大津さんは佐川市長の下で、水戸市第3次総合計画策定に関わり「都市景観」の項目作成に中心的役割を果たしました。
話を聞いていて、仕事はハードだったことが伝わってきました。第2部で流された芸術館開館式での吉田秀和さんの挨拶の映像の中で、「労働基準法というものを僕はよく知らないのですが、それに照らしたら違反だらけの業務をみんながやってこの開館に漕ぎつけました」というような言葉がありました。吉田さんはそれを肯定するわけでも否定するわけでもなく、淡々と語られていました。佐川さんの専門が労働法というのも、何とも皮肉な感もありますが、ただ創造的仕事というものは法的規制の枠を超えて行きます。
大津さんにとってはやりがいのある仕事だったことがよく伝わってきました。それは、佐川さんが理念を掲げてそれを実現するために苦闘したから。ただ、それが現実の場ではすべての人にとって必ずしも望ましいもの、目指すべきものとは思えなかったのも事実だったでしょう。100人いれば100通りの人生があります。政治における理念の重要性は、立場の違いを超えさせるものは何かに関わっています。
大津さんの話を聞きながら、佐川さんが格闘した厚みのある現実を垣間見た思いがしました。佐川さんは自らの理念を実現させることを夢見た政治家であり、自らの理念に忠実であろうと行動した政治家でした。彼の出発点の理念は「自主管理社会」でした。『ミネルヴァの梟が飛び立つ日自主管理社会への模索』(毎日新聞社、1982年)は、1980年の水戸市長選敗北後に書かれています。自分の立場を検証し、改めて提示するために書かれたもののようです。彼は実践に繋がらない冷たい評論に陥ることを拒否しました。
私は自ら形成した認識を自らの実践で検証したいと考えているからである。(『ミネルバの梟』はしがき)
佐川一信さんの遺した図書館、芸術館、備前堀の再生、七ッ洞公園などの目に見える業績の根底にある理念を、今一度捉え直しておきたいと思っています。
2024年11月9日木城館にて