宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

終活をめぐって

 東京へ向かう高速の渋滞がニュースになっていました。新型コロナ感染が始まって以来、何の法的拘束もない初めての大型連休で、観光地の混雑ぶりが報道されています。今回の結果がどう出るか、ちょっと心配ではありますが。

 6月のはまぎくカフェで、終活の話がテーマとして出ています。ただ、どういう話を皆さんが望んでいるのか分かりません。参加者に、思いを色々話してもらえるような仕掛けが必要です。4月に途中で終わってしまったスゴロクを作り直そうか、という話も出ています。

 今、5月から始まる授業の準備をしていて、治療をめぐる本人、家族、医師のそれぞれ望んでいることや価値観が微妙にずれている事例を検討しています。現実は対処法が一つしかないことは稀で、悩ましいことが多いです。

 事例は、一人暮らしの88歳の女性が急性骨髄性白血病を発症して、その一回目の治療が終わり、次の治療に移ろうとしている段階です。本人は、もうあんな辛い思いはしたくないという思いが強く、治療に積極的になれていません。ただ、家族の思いや医師や看護師には感謝していて、あまり対立したくないと思っています。医師は治療が順調に来ているので、次の治療にはいれると考えています。そして、寛解(症状が安定して落ち着いている状態)まで持っていければ、家から通院してもらえると考えています。娘は、治療を続けて長生きしてほしいし、退院したら一緒に暮らす準備をしています。

 こういう例は結構あると思います。年齢的にも本人としたら、もうあまり辛い思いはしたくないというのもよく分かります。生活の質を重視したい。家族や医師は、出来ればもう少し生命を延ばす治療を重視したい。

 88歳という年齢は、平均寿命(2021年7月現在、女性は87.74歳、男性は81.64歳)であり、ある意味いかに人生を締めくくるかに気持ちは傾いていると思います。残りの人生の時間を大切にしたい。

 人生をどう終わらせるかは、考え始めると難しいです。少なくとも、何をしておく必要があるのか、何を書いておいたらいいのか。ピンピンコロリ(PPK)という言葉がはやったことがありますが、それは皆さん望むことだと思います。でも、その前に何をしておいたらいいのか。

            平磯海岸のハマヒルガオ(2022年5月4日)

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