宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

弘道館

 16日に弘道館に行ってきました。塾の子どもたちを引率して行ったのですが、説明してくれる方がいたので、子どもたちは面白かったようです。弘道館は、1841年に水戸藩の藩校として設置され、15歳以上で入学が許可された諸士が学んだ学校です。入学式はあっても卒業式はありません、という説明に子どもたちは驚いていました。生涯教育という言葉がありますが、学び続けるようにということです、と説明され、子どもたちは顔を見合わせていました。40歳以上からの登校は自由だったようです。

 15歳になるまでは、藩が指定した家塾や私塾で学んだようです。弘道館の創設は他の藩校に比較して遅いですが、学びの場は確保されていたので、そのために作られた学校ではないとの説明でした。幕末期に尊王攘夷を教育目的に作られた学校です。尊王攘夷という用語は、「弘道館記」において初めて登場したそうです。

 「弘道館記」には尊王が学問の目的であり、攘夷が武道の目的と明言されています。「弘道館記」は藩主斉昭の名で世に出されましたが、草案は藤田東湖が書いて、会沢正志斎らが意見を付加したものです。

 弘道館の教育の要点は次の文章に集約されていると沖田行司さんが書いています。『藩校・私塾の思想と教育』(日本武道館、2011年)に「弘道館記」から引用されて、その説明がついています。

 「神州の道を奉じ、西土之教えを資り、忠孝は二つ無く、文武は岐れず、学問と事業はその効を殊にせず、神を敬い儒を崇び偏党あるなし。(「弘道館記」『水戸学』日本思想体系53、原漢文)」

 日本の道を奉じて儒学の教えから学び、忠と孝を一体のものとみなし、文と武は目的を一にし、学問とその実践は結果において一つのものになる。神道儒教はともに尊崇して片寄るところがあってはならないと説いている。(174-175頁)

 忠と孝が基本価値だった時代の思想として、妥当な教育目的だった気がします。ただその結果を考えた時、どう評価していいのか。

               弘道館から大手門へ

           大手門から弘道館を撮影

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