宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

共感の必要性?

 今日は母の受診に付き添いました。帰りに、弘道館鹿島神社の梅を見ながら、車の中でおにぎりを頬張りました。この季節、梅があちこちで咲いています。こぶしも咲き始めています。

 『反共感論 社会はいかに判断を誤るか』(白揚社)を4分の3くらいまで読みました。ポイントは、共感を他者の感情の反映(ミラーリング)と定義して、認知的共感とは区別される情動的共感と捉え、その弊害を論じているということです。概ね、私自身の考え方と重なるなぁと思いながら読んでいます。

 著者のポール・ブルームは、共感よりも思いやりや配慮を求めています。共感の持つスポットライト性やバイアスの影響を受けやすいこと、数的感覚を欠く点などが指摘されています。また、共感を経験する人に与える負の効果として、「燃え尽き症候群」も言われています。プライベートな領域でも過度の共感はうまく機能しないとも。そして道徳的問題とはバランスの問題でもあると言われます。実感としてよく分かります。

 誰もが直面するもっとも困難な道徳的問題は、適正なバランスを保つことにある。どれくらいの金銭と時間(と注意力と情動的エネルギー)を自分自身、身内、赤の他人のために使うべきなのか?     (199頁)

 ブルームは共感に否定的ですが、感情的関りを否定しているわけではありません。思いやりや配慮は、共感なしに発揮されると主張します。道徳を共感にもとづかせることに懐疑的なわけです。カント的な道徳律を称揚するのかどうか。最終章は「理性の時代」になっています。もう少しで読み終わります。

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              弘道館鹿島神社から旧県庁を眺めて

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