宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

安楽死の倫理的問題

 授業の感想の中で、学生から「安楽死の倫理的問題」についての質問が出ました。まだ、触れていない部分ですし、今回の授業では「死をめぐる倫理的問題」はあまり触れる時間がありません。ここで少しまとめておきたいと思います。

 現在、安楽死という言葉は、「苦痛の除去のために意図的に死を引き起こす『安楽にするための死』という意味」で使われています。終末期の患者への医療上の処遇を意味します。

 安楽死は、ⅰ)患者を死に瀕した耐えがたい苦しみから開放すること(死をもたらす目的)とⅱ)他者が人為的に患者の死期を早める(安楽になるための方法)からなります。ⅰ)の前提として、「不治の病・死の切迫・耐えがたい苦痛の存在」があり、かつ「患者の意思表示の存在」が必要になります。患者の意思表示がないものは殺人罪に当たります。

 ⅱ)に関しては、積極的(作為的)安楽死「致死量の薬物注射などで死に至らしめる」、消極的(不作為的)安楽死「延命治療の中止。自力で栄養を摂取できない末期患者に栄養や水分を与えない」、間接的安楽死モルヒネなど鎮痛剤の投与(苦痛の緩和目的の行為)が結果的に死期を早めてしまう、の区別があります。

 間接的安楽死に関しても患者本人の同意がないと、未必の故意による殺人行為の問題が出てきます。未必の故意とは、もしかしたらそういう結果になるかもしれないけれど、まあそれならそれでいいという心理状態を表す法律用語です。

 消極的安楽死尊厳死の区別はどうなるのか。尊厳死リヴィング・ウィルを前提に、延命治療の不開始・中止によって死期の引き延ばしを止めることです。消極的安楽死は死期を早める目的でなされますが、尊厳死は死期の引き延ばしを止めることで、目的からは区別されます。しかし、方法的にはこの両者は区別が難しい。法律的には、消極的安楽死が嘱託殺に該当する可能性があるのに対し、尊厳死は治療義務の終了を前提としていて、殺人行為とは言えません。ただ、日本の法律には明確な規定はないようです。

         頂いた写真です。

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