宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

世界は誰かの仕事で出来ている

 缶コーヒー「ジョージア」のCMのコピーです。梅田悟司さんというコピーライターによって生み出された言葉です。梅田さんはCMの世界では有名な人のようですが、私は今回初めて知りました。

 私もこのコピーに惹かれました。「社会」ではなく、「世界」という言葉が味噌でしょうね。ある種、宇宙的広がりが感じられます。そして、「仕事」って何だろうと考えている人たちの共感を呼んだ。

 ところで、仕事と労働とはどう違うのでしょうか。唯一仕事は、賃金が発生することを第一条件にするとも言えます。労働は、家事労働に関しては賃金が発生しません。同じことをしていても、仕事になると、賃金が発生します。

 ハンナ・アーレントは、人間の活動力を「労働」、「仕事」、「活動」に分類し、後者程、生の必然性から解放され、自由の領域に関わると捉えます(『人間の条件』)。そして、この三つの活動力は、新しく生まれてくる新来者に世界を与え保持する課題を持っていると言います。

 「労働」は生命を維持するのに不可欠のものであり、「生存」の必要性に従属し、耐えがたい労苦と困難と結びついています。近代以降、労働はその生産性の高さで、活動力の中における地位をあげました。人間を動物から区別するものとして労働を挙げた、マルクスの影響もあると思います。生産労働と非生産労働の区別とか、知的労働と肉体労働の区別など、労働をベースに分類しています。ところで、「労働」と「仕事」の根本的区別は、その結果が残るかどうかにあると、アーレントは主張します。

 「生産的労働と非生産的労働の区別は、そこに偏見的態度が見られるにもかかわらず、仕事と労働というもっと根本的な区別を含んでいる。実際、背後になにも残さないということ、努力の結果が努力を費やしたのとほとんど同じくらい早く消費されるということ、これこそ、あらゆる労働の特徴である」(『人間の条件』「第3章 労働」

 現代社会において、仕事は制約が多いし、自分の自発性から発するというより、自主性や主体性を要求されるものです。課題が外からやって来て、その解決を要求されるのが仕事。これに対し、ボランティアに代表されるような「活動」は自発性から始まります。しかし、多くの現実のボランティアは、取り組み方は自発的ですが、課題はすでに示されています。ところで、この自発性という基準は、アーレントの活動力の区分の中で「活動」を定義するとき、大きな意味を持ってはいません。

 仕事も労働も、それらは誰かの必要性から発します。そしてその誰かは、「私」でもある。他者からの要求に向き合い、それを解決するために働くことで、「私」の必要性への対応も学びます。或いは「私」の必要性の世界が広がり、深められる。こう考えると、「仕事」を通して、私たちは世界を構成する重要な力の一つを手に入れることができるとも言えます。

 「仕事」で鍛えられ、「仕事」の一線を退いた高齢者たちは、世界を構成・保持する大きな活動力を持っています。後はそれをどう使うか。単に自発性を超えて、人間の自由の領域を創造するものとしての「活動」をどう捉えるのか。「美しいもの」というのがどうやらキーワードのようです。これはまた別に書いてみたいと思います。 

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         2月26日 サンシュユ、トルコキキョウ、スイトピー、ゴットセフィアナ

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