宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

介護福祉士実務者研修

 今日は、昨日の骨に染みるような寒さとは打って変わって、暖かでした。介護福祉士実務者研修のパンフレットを、ある研修実施機関に行ってもらってきました。以前にここで介護職初任者研修を受けましたが、かなりしっかりしたカリキュラムを組んでいました。

 実践に関する授業は学ぶもの多かったのですが、理論に関する授業では驚かされました。テキストはよく出来ていますが、授業で、そのテキストの文章にアンダーラインを引かされました。そして授業後提出のレポートは、それをくっ付けて論述すれば出来上がる仕組みになっていました。

 実務者研修では、自宅学習が10科目275時間あります。その科目自体は、国の指針に完全に合っています。スクーリングは61時間(9日)で、科目は介護過程Ⅲが45時間、医療的ケアが16時間です。医療的ケアでは、講義の後に筆記試験があり、それに合格しないと演習に進めません。この医療的ケアの演習には、DVD教材がついています。

 介護過程や医療的ケアに関しては、対面でないと難しいと思います。しかし、その他の部分の学習は自宅でテキストを使って自学自習して、課題をレポートします。自学自習でレポート提出という流れ、どうなるか想像できてしまいます。まさにポイントを覚える。介護福祉士の試験に合格したある人が、2カ月前から集中的に書いて覚えた、と言っていたことを思い出しました。

 仕事をしながらの実務者研修では、やはり受講期間4カ月中9日間のスクーリングがせいぜいだろうと思います。しかし、自分がやっていることを理論的な枠組みの中で捉え直すせっかくの機会なのに、これではあまり意味がない気がします。それぞれの分野の専門家の授業を聞く意味は、テキストをただ読むだけでは分からない文言の背景を知ることにあると思います。そして、もろもろの問題点を自問自答し、学び合う仲間の意見を聞いて考えることで、ただポイントを記憶するのではない学びが生じます。覚えるだけでは、はっきり言って使い物にはならない。

 「人間の尊厳と自立」の科目を履修しているはずなのに、「認知症の理解」の科目を履修しているはずなのに、認知症の方への対応が出来ていない、なんてことが起こります。道徳の注入主義を思い出してしまいました。どうしてこういうことが起こるのか。日常生活の支援という、自分の日常生活を、他者のそれに重ねてしまいがちな分野の問題なのかもしれません。

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                2月18日の午後

h-miya@concerto.plala.or.jp