宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

介護ケアの「根拠」

 昨日の午後、雷や突然の雨に驚かされましたが、他の地域では落雷で停電もあったと知って(*_*;‥‥。そんなに凄かったのですね。明日は終戦記念日です。(1945年)8月14日、日本政府はポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告しました。翌8月15日、玉音放送によって日本の降伏が国民に公表されました。そして9月2日に、日本政府はポツダム宣言の履行を定めた降伏文書に調印しました。これは休戦協定で、国際法上、連合国各国(共産主義諸国を除いて)との戦争状態が終結したのは、1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効によります。連合国の占領下にあった4月27日までは、9月2日は、降伏の日、降伏記念日、敗戦記念日と呼ばれていました。

 戦争は何かのきっかけで始まってしまいます。でも終わらせるのは大変。アメリカと中国の関係悪化は、もろ日本に響いてきます。

 昨日、奈良東大寺の大仏殿における「万国天災人災物故者慰霊法要」の様子が放映されました。「祈」の文字に灯りが灯され、厳かな雰囲気の中に、心が静まっていくような思いがしました。

 戦争だけでなく、新型コロナによる今の状況、地震や大雨の被害。私たちの生活の基盤を揺るがす天災・人災。「祈」に託されるものに、心が引き締まる思いがします。

 前置きで終わりそうですが、介護ケアについて考えています。介護ケアはエビデンス対応がされていないと思います。EBM(Evidence-Based Medicine)には臨床から上がった多くのデータが生かされています。EBMは、治療法の選択となる根拠は「正しい方法論に基づいた観察や実験に求めるべき」という考え方で、膨大な臨床結果や疫学・統計手法を駆使します。

 カナダのマクマスター大学でデイヴィッド・サケットらが提唱し、1990年、グループのゴードン・グイヤットによって名づけられました。最良の治療法を選択する方法論として、従来、生理学的原則・知識(経験的事実を支配する法則)が重視され、不足を個人的経験や権威者の推奨が補ってきました。これを、臨床結果で得られた裏付けや証拠を根拠とする医術(応用科学や技術)へと転換する動きです。治療法の選択となる根拠は「正しい方法論に基づいた観察や実験に求めるべきである」という主張の実践です。

 この背景には、勤務医の臨床結果が論文として医学誌に発表され、業績として評価されるアメリカの制度と、膨大な医療データを生産・蓄積して治療現場に活かせるインターネット環境の整備があります。

 介護ケアに関する基本的方向性や考え方は、初任者研修のテキストなどを読んでいてもかなり整備されていると感じました。ただその量の多さと範囲の広さからして、これを現場でどう使うのか、研修を受けていた時も、考えていました。現場に出てみて思ったのは、それぞれの経験値に頼っているなぁ、ということです。介護ケアは家族が担ってきました。日常的な子どもやお年寄り対応は、女性が担うことが多く、その延長線上で介護の現場は回っています。

 EBMについて書いたとき(2020.6.3)次のように書きました。

 「病気を見て病人を見ない」という言葉がありますが、あくまで個々の患者の状態、年齢・性別・既往歴などをベースに治療法を選ぶという、当たり前と言えば当たり前の動きです。

 介護の現場対応は、逆に個々の利用者さんに対応することから始まります。その点で、慣れないと、利用者さんに振り回されてしまいます。あるいは、「それは規則上できません」で対応する。個々の利用者さんの状態に応じた、振り回されるのでない、客観性を持った対応があるのではないか、と考えています。例えば、人手不足でケガを防ぐために活動を制限し、入所中に施設の中で歩けなくなってしまう高齢者などに対し、EBC(Evidence-Based Care)の必要性を感じます。たとえ毎日でなくとも、週1回、自分の身体機能を出し切るような訓練(レクを通してでも)をしていれば、最悪、歩けなくなるということは防げるのではないか。その他、申し送りの事項に関しても、何を申し送るかの選択基準とその記録の仕方など、どういう風に構築していったらいいのか、道はるかだと思います。

h-miya@concerto.plala.or.jp