宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

近代の理念への怨念

 昼間は暖かですが、さすがに夜は冷えてきます。今日は、茨城のコロナ感染者が55名出ました。寒くなると感染者が増えると言われていましたが、まさにその通りの状況が、茨城だけでなく起こっています。

 新聞の整理をしていて、内山節さんの「『損か得か』の時代の果てに」(東京新聞「時代を読む」2020.11.15)を、まさにその通りと思いながら読んでいました。トランプ時代の始まりを、内山さんは1989年のベルリンの壁の崩壊に見ています。東欧圏の体制崩壊は、理念や思想をめぐる対立ではなく、「お金が儲かるかどうか」だったというのです。内山さんは「損か得かがあらゆることの判断基準になる、そんな時代が生まれた」と書いています。「社会主義という理念、思想が抑圧装置だと感じる人たちが増え」、「理念なき時代は、この抑圧からの『解放』だという感情も高めた」というのです。

 そしてこの動きは西側でも起こるようになり、西側の理念も抑圧の道具になっていると感じる人たちを生み出していたことに、世界は気づかなかった。そういう感情を利用したのがトランプ大統領だったと言われています。西側の理念とは、自由や平等、人権、民主主義などですが、これらはこの理念を支配するエスタブリッシュメントたちによる支配、抑圧の道具になっていると感じる人たちを生み出していた、ということです。これは、私も感じます。現実主義的な人たちほど、例えば社会保障制度に疑問を呈するという場面を、何度も経験しました。今回の日本学術会議の任命拒否問題に関しても、一般の人たちの盛り上がり方は今一つです。一方で、学問の自由を主張する人たちは、象牙の塔への根深い反感にどのくらい気付いているのか。

 内山さんは、社会主義であれ、自由や民主主義であれ、近代に生まれた理念が、結構多くの人からの反乱を受け、金儲けの自由だけがのさばる現在の世界はどうやって修復したらいいのか、と問いかけています。

 修復なのか、根本的に「生きることと」対峙して近代の理念を乗り越えるのか、新たな人類の生き方をめぐる実験の時代に突入しているのかもしれません。

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     2019年11月15日お昼過ぎのマリンプール。11月の今頃は、毎年お天気がいいですね。

h-miya@concerto.plala.or.jp