宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

幸福をめぐって3)ベンサムの功利主義

 ここのところお天気は良いのですが、風が強いです。日曜の夜中に結構雨が降ったようですが、空気は乾燥しています。

 さて、功利主義的幸福観について考えてみます。功利主義は18世紀後半にジェレミーベンサムによって主張、社会改革運動の思想的背景になったものです。功利主義創始者といわれるジェレミーベンサム(1748-1832)は、ロンドンに住む典型的な中流階級の出身で、父のジェレミア・ベンサムは若干の自由保有地と賃貸地を所有する公証人、祖父は法律代理人、曽祖父は質屋でした。少年時代のベンサムは、肉体的にもひ弱で、精神的にも感受性の鋭い神経質な子どもでした。苦痛は悪であるという彼の功利主義思想は、彼の体質に根ざすとも言えます。

「圧倒的な善を生み出すことなしに、意識的に苦痛を、どのような存在に対してであれ作り出すような行為は、残酷な行為である」(後年の弁)。

 ベンサムは1760年、12歳でオックスフォードのクイーンズ・カレッジに入学当時でも珍しいですが例外ではありません。哲学者デイヴィッド・ヒューム(1711-1776)も12歳でケンブリッジ大学へ入学しました。そして、1763年頃、オックスフォードで、当時名声赫々たる法学者ウィリアム・ブラックストーンの英法についての講義に疑いを持ちます。早熟な子どもだったことが分かります。

 当時のイギリスの司法は混乱の極致で、かつ刑法は過酷でした。数シリング(1ポンドが現在は151円くらいで、1シリングは20分の1ポンド。当時の価格は分かりませんが)を盗んでも鼻そぎの刑、すりを死刑にするなど。刑の執行を広場でして見せしめにします。にもかかわらず犯罪は減りませんでした。浮浪者の増加や人道的治安判事が、刑罰が過酷であるため、犯人を法律上の擬制をつくることで逃がしたためと言われています。

 こういう時代の中で、ベンサムの決意とは、混乱した法律を18世紀の変動する社会に合うように合理化簡潔化し、誰にでも理解しうるようにすることでした。1768年、ベンサムはプリーストリー『政府論随想』に「最大多数の最大幸福」の語を発見します。ベンサムはそれ以前に、ヒュームの『人間本性論』(1739年)から、人間のあらゆる行動の動機が快楽の獲得にあることを学んでいました。功利という概念は、ベンサムの主著が出版される一世代以上前から時代の大勢であったと言われます。しかし、ベンサムの悩みとは、原理をどうするかということでした。すなわち、直覚学派の意見には批判的であり、人間のあらゆる行動の動機が快楽の獲得であるとして、それをいかに当為(なすべし)の原理にするか考えていたときに、「最大多数の最大幸福」の語を発見したのです。

 1789年に刊行された『道徳および立法の諸原理序説』(1780年脱稿)の「第1章 功利性の原理」は、次のように始まります。

 自然は人類を苦痛と快楽という、二人の主権者の支配のもとにおいてきた。……一方においては善悪の基準が、他方においては原因と結果の連鎖が、この二つの玉座につながれている。苦痛と快楽とは、われわれのするすべてのこと、われわれの言うすべてのこと、われわれの考えるすべてのことについて、われわれを支配しているのであって……。(J・ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』(1789年)第1章、1.)

 この有名な部分は、ベンサムの人間観・道徳観を短いフレーズで、印象的にかつ的確に語っています。彼の快と苦を基準とする善悪の観念は、20世紀初頭、G・E・ムーアの『プリンキピア・エチカ』(1903年)によって自然主義的誤謬(naturalistic fallacy)として葬り去られるまで、大きな影響力を持つようになります。

 ムーアの自然主義的誤謬という言い方は、二つの意味を持ちます。第一にそれは定義できないものを定義しようとする試みのことであり、第二に、善のような非自然的属性を快楽のような自然的属性によって定義しようとする試みのことです。この二つの意味の関係やそれぞれの持つ問題性についてもさまざまに指摘されてきていますが、簡単に言えば、第一の意味は形而上学批判であり、第二の意味は功利主義批判です。ムーアの主眼はもちろん功利主義批判にありました(清水幾太郎倫理学ノート』岩波書店、1972年、「Ⅰ-2 善の直覚」)。

 ベンサムは、冒頭部分で、明瞭に直覚主義的道徳観を批判しています。善は生理的・物理的性質には還元できず、直覚されるものというのが直覚主義の立場です。ムーア以降の批判は、快楽と苦痛という玉座に「正邪の基準」と「因果の連鎖」が同時に結び付けられている点に焦点が当てられました。すなわち、desiredとdesirableとが連続するものと捉えられた点を批判したのです。

 しかし、この点に関して、20世紀後半、別の評価が与えられるようになってきています。例えば、J・ヴァイナーは、1948年の論文で、「事実」を一般大衆の心理と見、「価値」をエリートの倫理とする解釈を提示しています。ヴァイナーはベンサムの倫理に対する関心は、道徳の指導者の従うべき倫理であったと言います。普通の人間が快楽を求め、苦痛を避けるように行動するのは「事実」ですが、これに対し、エリートの責務は普通の人間の快楽を極大化し、その苦痛を極小化するように行動することだというのです。これは「価値」の問題です。ここの部分についてのベンサムの言説のあいまいさが誤解を生み、非難が集まったと言われます。

 また「自然主義的誤謬」という使い方の誤まりを、B・ウィリアムズが以下のように指摘しています(『生き方について哲学は何が言えるか』産業図書、1993年、「第7章 言語論的転回」)。本来自然主義とは、超自然主義的なものの見方と対比されていました。ここでの自然主義とは、倫理を世俗的に理解し得るとする立場のことです。それは人間を自然の一部であると見る見方から生じる倫理的な発想を言いました。アリストテレスの発想もミルの功利主義もこれに属することになります。有用な意味での自然主義的なものの見方が「自然主義的誤謬」を犯すものとは言えません。

 ムーアは「自然主義的誤謬」という言葉によって、完全に非評価的前提から、評価的な結論を演繹しようとするあらゆる試みを禁じたのです。これは現代の解釈では「である」から「べし」を導くことの誤りと言えます。ではなぜ非評価的なもの(「である」)から、評価的なもの(「べし」)が導き出せないのか。ムーアは、善性は単純な非自然的性質だから定義できず、直観しえるのみと考えたからです。

 さてベンサムの考える道徳の内容自体は、古今の聖賢の説く道徳の徳目と大差ありません。節制・他人に親切であること・他人に害を加えないこと、すなわち自分にしてほしいことを他人になせという『新約聖書』のゴールデンルールに他なりません。その観点から見るなら彼の目的は、当時の社会的混乱の中で衰退しつつあったこれらの徳目をむしろ強めるために、それを確固不動の客観的法則のうえに再建することにあった、とも言えます。

 ベンサムは、自然法の理論では論者が直観によってこれが自然法だというものを基準にすることで恣意的かつ感情的だ、と考えました。自然法は、人間社会の現実の法の正・不正を問題にする、地上の法を超えた永遠の法の領域に関わります。また、共感の理論でも論者が感情的に是認するものが善となり否認するものが悪となって主観的です。ベンサムは道徳を自然科学と同じように客観的法則の上に樹立することを目指し、全ての人間に共通に経験することができるもっとも単純な感覚、快楽および苦痛から出発しようとしたのです。

h-miya@concerto.plala.or.jp