宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

自衛隊明記の危うさ:九条方式は越えられるのか

 東京新聞5月21日の総合(2頁)に、憲法学者石川健治・東大法学部教授のインタビュー記事が載っています。自衛隊明記の危なさを、統治機構の論点から整理しています。統治機構は3層をなしていて、1層目は「権限はあるか」、2層目は「権限に正統性はあるか」、3層目は「財政の統制はあるか」だそうです。
 九条によって本来軍隊を組織する権限は国会から奪われています。しかし1層目は自衛力という論理で突破されてしまった。その結果が自衛隊です。しかし、2層目、3層目は現在なお機能しているというのです。2層目の正統性の弱点が、自衛隊を暴走させないで、身を慎む姿勢を維持させ国民の支持を得ている。3層目の財政統制に関しては、2層目の存在を背景として、大蔵省・財務省が杓子定規に軍拡予算の編成を阻んできた、と言うのです。
 この2層目、3層目を突破させたら、暴走が始まると言っています。現段階では、九条方式に匹敵する優秀な軍事力統制メニューは出されていないと。これは私もその通りだと思います。井上達夫さんの言うようなシビリアン・コントロールの明記は、私も必要だろうと思います。ただし、国民に一斉に問いかけてもおそらく上手く行かないと思います。軍事力統制のメニューは議論される必要がありますが、市井のカフェ議論と同時に、中枢を担うメンバーによる討議が必要だと思います。
 NGOアタック(ATTACK)がかつて、国境を超える投機マネーを押さえるためにトービン税の導入を求める行動をしていったときのやり方のような。トービン税ノーベル経済学賞受賞者ジェームズ・トービン博士の考案したものですが、ATTACKはそれを現実に導入するやり方を、各界のエリートの参加を得て考案していきました。
 軍事力統制メニューを護憲・改憲派が合同で議論してゆく場を構成する必要があるのではないでしょうか。理想実現のための現実を見据えた論理構成ができる集団が必要だと思います。九条方式を超えるものが、あるいは九条方式に匹敵する現実的メニューが出せるのかどうか。出せなければ出せないでいいのだと思います。それで九条方式の素晴らしさを再確認できますから。現代の英知では九条方式は越えられないと言うことを、きちんと論じることが重要なのだと思います。
 J・S・ミルが『自由論』(岩波文庫)の中で、次のように言っています。
「その意見がいかに真理であろうとも、もしもそれが充分に、また頻繁に、且つ大胆不敵に論議されないならば、それは生きている真理としてではなく、死せる独断として抱懐されるであろう」(『自由論』第二章 73頁)
 ミルはきちんと議論されないと自分の意見の根拠を学び知ることができず、正しい信念を持つことができないと言います。どの様な信念であれ、ごく普通の反対論に対して弁護することが出来なければいけない。そして議論を完全に排除することなど不可能です。数学の論証ならいざ知らず、意見の相違を生じるあらゆるテーマに関しては、「真理は、相矛盾する二組の理由をあれこれ考えあわせてみることによって定まるのである」(75頁)「その問題に関して自分の主張を知るにすぎない人は、その問題に関してほとんど知らないのである」(76頁)と言われています。
 忙しいという理由や面倒という理由で議論することや考えることを止めてしまうとき、それこそが暴走への加担の始まりなのかもしれません。自戒を込めて。

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