宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

枝を使った創作品

 昨日のはまぎくカフェでは、枝を使っての創作を、柴沼清さんの指導の下、行いました。何とかなると、ちょっと安易に考えていたプログラムでしたが、柴沼さんの適切な指導が無かったら上手くいかなかったと、反省しています。でも、参加者の皆さんは「久しぶりに楽しかった」と創作意欲を満たされたようでした。指導の大切さに、改めて気づかされた今回の催しでした。

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 柴沼さんが、自然の枝の力を盛んに言っていましたが、納得してしまいます。生け花でも、花材が同じなのに、出来上がった作品は異なっています。生けた人間の個性もありますが、それ以上に花材の持っているそれ自体の力も大きい気がします。

 下は私の作品です。最初に作ったものは、「アソブ」でした。柴沼さんからアクセントを付けることを示唆されて、作り直しました。縦の線を強く出すといいというアドバイスでした。新聞記事の字体を見てください、と言われ、納得しました。最終的に「アソボ」に変えました。本当は、「遊ぼ」を作りたかったのですが、いきなり漢字や平仮名は難しいと考え直し、ほぼ直線で作れるカタカナでやってみました。

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正面からのものと、脇からのものとで、微妙に光線の具合で雰囲気が変わります。柴沼さんが枝画の鑑賞点は一つではないと言っていた意味がよく分かりました。

シュタイナー教育と療育

 発達障害への療育を考えるとき、ヨーロッパにおける治癒教育を思い出します。19世紀には、この言葉は存在していたと言われます。治癒教育という言葉は、ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)が創設したシュタイナー教育(ヴァルドルフ教育)を思い出させます。シュタイナーは障害児教育を「教育の中の教育」と呼んでいました。ヴァルドルフ・シューレは、1919年にドイツ南部シュトゥットガルトに初めて開かれました。この学校は工場労働者の子弟を教育することを目的に、依頼されたものです。タバコ工場の共同経営者モルトはシュタイナーの人智学に共鳴していて、彼に開校を依頼したのです。この時、シュタイナーは以下の4つを条件に出して、引き受けています。

①学校はあらゆる子どもたちに開かれていること。②男女共学であること。③12年の一貫教育であること。④教師たちが学校経営の中心的役割を担い、行政や財界からの影響は最小限に抑えること。

 シュタイナー教育は一言で言えば「自由へ向けての教育」と言われます。「自由な」教育ではなく、子どもたちが人間としての「自由を獲得できるよう」育成する教育です。彼は生まれてから成人までの時期を、七年毎に3つに区切って、それぞれの課題があると言います。第1七年期、いわゆる就学前の時期の課題は、すべての感覚を調和的に発達させるための感覚教育の徹底です。ここでは芸術的体験が特に重視されています。芸術的要素は小学校へ上がってからも特に最初の七年は重視されますが、徐々に知的部分への働き掛けを強めていきます。

 人間は生まれてすぐは右脳で判断し直感で行動すると言われます。3歳くらいから、左脳が発達して論理的思考ができるようになります。発達障害の子どもは、右脳が発達していると言われています。特に、自閉スペクトラム症の人に視覚優位が多いとも言われています。彼らは目からの情報に敏感で、耳からの情報で物事を理解するのが苦手ということです。視覚による情報吸収が得意な子どもには、視覚から新しい情報をインプットすることが効果的と言われます。RIKUIメゾットの研修会でフラッシュカードの意味を理解しましたが、感覚をどう調和的に発達させていくのか、発達障害の療育の課題の一つだと思います。シュタイナー教育では、むしろ聴覚を発達させる働きかけを重視するだろうと考えます。

 また、前頭前野は「やる気、思考力、集中力」に関係しています。ワーキングメモリ(短期記憶)もここに属しています。ブロードマン脳地図の8野と46野と言われています。例えば、短期記憶のカード課題は、このワーキングメモリーを鍛えるためのものです。発達障害の子どもたちが困難を抱えるといわれる場所のようですが、加齢とともに困難を抱えて行く場所でもあります。このカード課題は、軽度認知症や加齢における記憶の衰えに対処する訓練方法でもあると言えるのかもしれません。

 RIKUIメゾットの研修を受けて、何のための「遊び」か、が理屈付けられていることで、発達を評価する視点があることを具体的に分かりました。ビジョントレーニングの基礎訓練が文字を書いていくときや教科書を読むときの基礎訓練になること。空間認知、論理的思考などを知育具で楽しんで鍛えること等も、なるほどと思いました。

 発達障害の療育は、一般の教育手法としても有効なものだと考えています。

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          佐川文庫の庭の椅子。感覚に心地よく訴えてきます。

療育について

 午後から雷雨の予報が出ていましたが、梅雨は明けた感じの今日の晴れ間。でもその後、やはり雷雨で、停電しました。お天気が悪いと、放デイの子どもたちも何となく調子が悪そうです。梅雨が明けると、暑さと体力の鎬の削り合いになりますが。

 療育というものがどういうものか、今一つ分かりません。決まった定義はないようですが、障害のある子どもたちの発達を促進して、自立して生活できるよう支援することのようです。

 療育という言葉は、東京大学名誉教授で整形外科医の高木憲次さん(1888-1963)が言い始めたもののようです。高木さんは、日本の「肢体不自由児の父」と言われる人で、肢体不自由児の自立のための医療と教育の並行を提唱しました。それをさらに発展させたのが高松鶴吉さん(1930-2014)です。高松鶴吉さんも整形外科医ですが、彼は療育の対象をすべての障害児に広げました。この療育という言葉が後に「発達支援」という概念を生み出し、厚労省は「児童発達支援」を次のように定義しています。

児童発達支援は、障害のある子どもに対し、身体的・精神的機能の適正な発達を促し、日常生活及び社会生活を円滑に営めるようにするために行 う、それぞれの障害の特性に応じた福祉的、心理的、教育的及び医療的な援助である。

厚生労働省「児童発達支援ガイドライン」2017年7月24日策定)

 児童福祉法の2012年改正によって、従来の障害種別に分かれていた施設体系が一元化され、未就学の障害のある子ども対象に、児童発達支援が創設されました。そして就学している障害児には、放課後等デイサービスが創設されました。創設されて日が浅いこともあり支援の形態は多種多様であり、支援の質のバラツキも指摘されています。しかしながら、障害を持つ子どもたちの健全育成を目指す支援である点は共通していると言えます。以下、2012年改正における放課後等デイサービスに関する厚労省文科省からの事務連絡(2012年4月18日)です。

放課後等デイサービスの対象は、児童福祉法上、「学校教育法第1条に規定する学校(幼稚園及び大学を除く。)に就学している障害児」とされ、授業の終了後又は休業日に生活能力の向上のための必要な訓練、社会との交流の促進等を行うこと

  発達障害を持つ人が障害者の定義に含まれるようになったのは、2011年の障害者基本法改正以降のようです。

 発達障害を持つ人は脳に先天的な構造異常を持っていると言われています。ただし問題は脳の構造や機能の問題だけではなく、神経ネットワークの乱れも関わっています。

 発達障害には知的障害を伴うものと伴わないものがあります。知的障害はIQで分類され、100が標準で、70未満が軽度知的障害と位置づけられます。70から85がボーダーになります。知的には問題なく、コミュニケーション障害や関心に極端な偏りが見られる自閉スペクトラム症、集団行動が出来ない衝動性や多動、不注意を特徴とする注意欠陥・多動性障害ADHⅮ(Attention-deficit hyperactivity disorder)があります。

 学習障害は、それ単体で現れることはあまりないと言われています。自閉スペクトラム症ADHD(注意欠陥・多動性障害)などを伴うことが多いと言われます。知的には問題がないにもかかわらず、発達性読み書き障害や算数障害や聞き話し推論する広い意味での学習面での能力障害を言います。

  発達障害を理解する努力とともに、どのような未来を描いて療育に取り組むのか。それが問われます。

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           6月16日「はまぎくカフェ」の会場の飾り

ひたちなか市社会福祉協議会「高齢者外出支援事業」

 小雨降る中、常陸那珂港見学に行ってきました。国土交通省海上視察レクチャールームで、港湾空港事業の概要を聞き、海上視察の予定でしたが、あいにくの小雨で、海上視察は中止。その分説明をしっかり聞いて、常陸那珂港内をバスに乗って見学しました。

 1973年に日本に返還された水戸対地射爆撃場跡地に、常陸那珂港は作られています。隣接する国営ひたち海浜公園は、レクリエーションゾーンに開発され、産業ゾーンにはごみ焼却施設があります。また都市ゾーンにはジョイフル本多他、商業施設が林立しています。「新全国総合開発計画」のもとに開発が進められてきましたが、海浜公園などもここまで人を呼ぶことができるとは予想されていなかったそうです。確かに、1995年頃の海浜公園は、まだまだ人がまばらでした。それが今や、ネモフィラとコキア、ロックインジャパンフェスティバルの入場者数は群を抜いています。

 今日は、港湾ゾーンの見学でした。通常は入れませんが、見学を申請することで中を見ることができます。「外貿」(外国を行き来する貨物船が接岸する場所)、「内貿」(国内を行き来する貨物船が接岸する場所)、「火力発電所」、「モータープール」などちょっと興奮しながら見学しました。またちょうど輸出の前日で、船の傍まで車を移動する浜出しを見ることができました。

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外貿で荷積みを終えた船を曳船が引っ張っているのを常陸那珂港で見ましたが、30分後くらいには海上を進んでいました。オーストラリアのブリスベンに向っています。

発達障害改善プログラム研修会

 6月が終わろうとしています。怒涛の6月でした。千葉看護協会の仕事がWEB講義になったことで、かなり緊張しました。講義の予行演習もしたりして、2日間、6時間の仕事でしたが、終わった時の解放感は大きかったです。6日に、ワクチン接種の1回目があって、これもやはり緊張していたようです。1回目はそれほど副反応は出ないと、先に済ませた人たちから聞いてはいましたが、1週間くらいして、体調が思わしくないときがあり、今頃副反応かと思ったりしました。

 そして28日、29日と、発達障害改善プログラムの研修会がありました。RIKUI式の療育手法を学ぶ研修会でした。お子さんがウィリアムズ症候群という川田尚果さんが生み出した療法です。彼は、エジソンアインシュタインスクール協会でも講師をしていたようです。内容は盛りだくさんで、2日程度聞いて、すぐ実践できるものではないですが、使えるものは結構あるなぁと感じました。発達障害児は右脳が発達しすぎている、「右脳の過剰反応」という話は納得しました。

 問題行動とその原因で、環境による行動要因は、普通にあるなぁと感じました。⓵医学的・生理的要因(薬の副作用、アレルギー、痛み、疲れなど)、②睡眠サイクル、③食生活、④家庭の状況(生活習慣、両親の精神状態など)、⑤時間帯、⑥物理的環境(明るさ、ノイズ、温度、湿度、座席位置、広さ、人の数、特定の場所等)、⑦人とのかかわり(特定の人、療育者の指示方法、注目される、怒られる)、⑧活動内容(難しい作業、面白くない活動、移動時、予定の変更)(『指導員研修教材』14頁)。

 問題行動に至るかどうかは、その時の余力がどのくらいあるかに寄るのかもしれません。シャットアウトする力の有無と言ったらいいでしょうか。それは体力と同時に心のエネルギー状態もあると思います。私は、⑥に弱いかなぁと自己分析しています。調子が悪い時は、これで分かります。これは脳のどの領域が関わっているのか、ちょっと興味があります。

 RIKUI式がどのくらい使えるかは、現段階では未知数ですが、取り組む体制を作れるかどうかなのかもしれません。

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      本文とは無関係ですが、癒される空間です。佐川文庫木城館の庭。

盲視(ブラインドサイト)と現象学的発想の限定性

 直接経験の領野(マッハ的光景)を、フッサールは「超越論的主観性」と言っています。つまり、私たちが最も直接的に具体的に経験している光景そのもののことで、客観科学の基礎になるものです。マッハの絵のことです。しかし、この意識の直接経験を客観科学の基礎に置くという現象学の知見には、「盲視」の症例がその限定性を明らかにしています。

 「盲視」とは(主観的には)「見えていない」が、(客観的には)「見えている」と言われる現象です。脳の損傷で盲目となっている視野に何かが提示されたとき、本人は光点が見えていないと言いますが、光点の位置を当てることができるという乖離現象が起こります。上下に動かしてどちらに動いている気がするかを聞くと、90%くらいの確率で正解するようです。偶然なら上下ですから50%です。明らかに「見えている」と言えるようです。これは、脳の中で視覚をつかさどる部位が一つではないことと関わっていると考えられています。

 脳の視覚野はⅤ1野、Ⅴ2野、Ⅴ3野、Ⅴ4野、IT野、Ⅴ5野などからなります。網膜から入った視覚刺激が視床から最初に入力される部位がⅤ1野です。何らかの原因でⅤ1野の機能を失った人が、それでも動きを感受するという不思議な現象。これは網膜からⅤ1野を経由しないで、上丘と呼ばれる部位を通ってⅤ5野(方向を知覚)に至るルートがあることからきています。

 デカルトは外の世界を取り戻すのに神様を経由しました。現象学は、意識の自明な知覚現象から、外の世界を妥当するという道筋を付けました。この画期的な方法は、しかしながら、オールマイティではなかった。客観性の基礎に意識の主観的経験を置くという現象学の発想の限定性とも言えます。

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   18日に生けたお花。クルクマ、縞ガマ、ベッチーズブルー(瑠璃玉アザミ)、ソリダコ

緑の季節

 6月は何となくじめついています。でも緑がきれいです。5月の新緑とは異なった瑞々しさがあります。雨が多くなるせいでしょうか。これはカラマツです。カラマツがこんなに緑色をしているなんて、この季節でなければ見られない色合いです。

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        6月13日冨士山5合目中道のカラマツ(知り合いの方から頂いた写真)

 

 水田風景も、5月は水の美しさが際立っていました。5月の水田の夜の風景は、水面に灯りが反映して幻想的でした。6月になると稲が育ってきて、水田が緑に色づきます。

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               6月8日の水田風景

 今年もコロナ感染がなければ、千葉市に仕事で行く予定でした。またハスが見れるかな、と楽しみにしていましたが、残念ながら行けませんでした。下は、2019年の千葉公園で撮った大賀ハスの写真です。

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              2019年6月17日千葉公園大賀ハス

h-miya@concerto.plala.or.jp