日本では明治維新以降、近代教育の導入の中で、「遊戯」が重要なテーマでした。勉強の合間に「遊戯」の機会を作って生徒を楽しませ、勉学の増進を図る、という考え方です。運動会もその発想から始まっているようです。コメニウスやロックのレクリエーションの考え方と同じ、と言えます。
一方で、1880年代にはYMCA(キリスト教青年会)運動が導入され、スポーツや遊戯の教育的価値が説かれました。大正中期以降には、都市で働く勤労青年対象に、活動写真やゲーム、歌などを内容とするレクリエーション・プログラムが提供されました。
日本のレクリエーション運動は、1938年の「日本厚生協会」の結成をもって始まったと言われます。この「厚生」という言葉は、「レクリエーション」に当てられた訳語でした。この団体の目的には「余暇の善用に依り‥‥‥国民の健全なる心身の保全を図る」とあります。時期的に厚生(レクリエーション)運動は、軍国主義の風潮の元、国民精神総動員の一役を担うことになりました。
1948年に「日本厚生協会」は、「日本レクリエーション協会」へと名称を変更して、アメリカをモデルとした民主的体制づくりに寄与することになります。ここでは、「スクエアダンス(フォークダンス)」に代表されるように、歌って踊ってゲームを楽しむアメリカ的プログラムが、レクリエーションと理解されました。行政主導でのレクリエーションの時代です。
1950年代半ば以降の高度経済成長期に、日本のレクリエーション運動は職場レクリエーションの活性化が重要視されました。経営や労務管理にレクリエーションが使われた時代です。さらに、国民生活が豊かになり、生活のゆとりが増大するに従って、レクリエーションなど、生活の楽しみを自分の意志で探求することが一般化していきました。レクリエーションは行政的・政策的な一翼を担うものから、主体的なものへと変遷し、それに従ってレクリエーションの概念も変化を余儀なくされて行きました。
1973年に日本レクリエーション協会は、レクリエーションの根源的意味を、「生きる喜び」と定義しました。それを実現するために①心身の健康づくり、②住みよい街づくり、③レクリエーションの環境づくり、を掲げました。そして1975年には、レクリエーションの概念が定義されます。①余暇時間に行われる、②自発的活動であり、③喜びをともない、④生活を豊かにする活動、と。
レクリエーション活動は仕事や勉強という真面目な活動に対する余暇活動として位置付けられているのが分かります。そして、自発的で喜びをともない、生活を豊かにするもの。余暇活動の中でもレジャーに比して、肉体と精神のリフレッシュという目的が明確であり、身体を壊したり反社会的なものは排除されています。
レクリエーションは遊びを中心に展開されてきました。遊びを活用することで、生活を有意義なものにするためのもの、と取りあえずは捉えておきたいと思います。現在、高齢社会の到来の中、福祉レクリエーションの分野が、セラピューティック・レクリエーションを背景として開拓されています。次はこの部分を捉えておきたいと思います。
散歩の途中で見かけた余所のお宅のバラです。