宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

レクリエーション(1)

 高齢者施設等で行われているレクリエーションは、福祉レクリエーションの括りに入ります。ただ現場のスタッフは、レクリエーションをそれほど歴史的・概念的に捉えているわけではなく、利用者さんに楽しんでもらうことを目標に支援しています。福祉レクリエーションの考え方は、仕事や学習などの真面目な生活への気力や体力を取り戻すための気晴らしとしてのレクリエーションとは、異なっています。福祉レクリエーションは、むしろ「今、ここでよく生きる」ために行われていると言えます。この考え方の土台になるのは、1950年代にアメリカで使われ始めた言葉である「セラピューティック・レクリエーション」です。アメリカではこのための資格が制度化されています。まず、レクリエーションの歴史的展開から、押さえてみたいと思います。

 レクリエーションには二つの意味があると言われます。「再創造」という意味とそこから派生した「気晴らし、余暇、レジャー」です。レクリエーションという言葉は、最初は14世紀後半に、「病人の元気回復、治療すること」の意味で使われたようです。それが15世紀以降、「自らの元気を回復する手段」とか「楽しい運動や事柄に従事すること」という意味領域を成立させていったと言われます。

 レクリエーションが社会的意味を持つようになった経緯としては、教育の分野における「学校の休み時間」という意味で、コメニウス(1592-1670)が『大教授学』(1657年)で取り上げた辺りから始まったようです。彼は学習と休養のバランスを重視し、授業と授業の間の元気回復の時間として「レクリエーション」を評価しました。現代の学校教育は、彼の構想によるものです。同一年齢・同時入学・同一学年・同一内容・同時卒業は彼の構想で、女子教育の必要性も主張しました。

 もう一つは、ジョン・ロック(1632-1704)が『教育に関する考察』(1693年)の中で、学習の合間に、気晴らし(レクリエーション)として運動したり、園芸や木工などの手仕事をすることの意義を唱えています。これは怠けているのではなく、仕事を変えることで、疲れている身体を休ませているのだと。コメニウスやロックの指摘は、教育における休養の重要性を言っています。休養の内実は、実質的には「遊び」と捉えられます。

 育ちにおける遊びの重要性は、ルソー(1712-1778)やフレーベル(1782-1852)が指摘しています。フレーベルは子どもが健全に育つためには十分な遊びが必要と唱え、「キンダーガルテン(子どもたちの庭=幼稚園)」を創設します。

 それが1885年のアメリカの「プレイグラウンド運動(遊び場運動)」へと展開しました。これはフレーベルの考えに共感したボストンの母親たちが、大都会の中で、貧困や暴力や犯罪に子どもたちが走らないよう、砂場を作って子どもたちに提供したことから始まりました。この「遊び場運動」は20世紀に入って、その対象を幼児から青少年、成人へと拡大していって、言葉も「遊び(プレイ)」から「レクリエーション」に置き換わり、「レクリエーション運動」が展開されて行きました。

 では、日本におけるレクリエーションの発展過程はどういうものだったのでしょうか。次はこれを捉えておきたいと思います。

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2019年11月2日に結城市公民館で開催されたオレンジカフェでの色カルタ。川口淳一(結城病院の作業療法士)さんが講師でした。例えば、「秋」というテーマで、色を選んでもらい、その「心は?」を語ってもらいます。微妙に異なる100種類の色があります。私は迷ってしまいましたが、皆さん、きれいな色合いのカルタをさっと手にしていました。

h-miya@concerto.plala.or.jp