宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

『パンセ』版の変遷

 「力のない正義は無力であり、正義のない力は暴力である」

 なんか最近見たドラマで聞いた言葉ですが、これは『パンセ』の中にある言葉です。ラフュマ版103にありますが、ブランシュヴィック版では298です。ブランシュヴィック版ではこの前後に正義をめぐる覚え書きが、まとめられています。

 ニーチェパスカルをかなり丁寧に読んでいたようです。ただ、力をめぐる思想やキリスト教との向き合い方においては、パスカルを両義的に評価していました。パスカルも、現実の世界において「強いものが正しい者にされてしまった」としますが、それは「正しいものを強くすることができなかったから」と言われます。パスカルの信仰心は、政治的世界へ向かうリアリストのまなざしに裏打ちされています。

 ニーチェはあらゆる事象を力の概念で解釈しようとしました。そのときの基準は、意志の質でした。生を肯定する能動生成の力か、生を否定する反動生成の力か。ニーチェも、現実の単なる力の支配を肯定していたわけではありません。現実の中で力を持つ者が、自らを正当化する事態をどう評価していくか。ニーチェキリスト教を批判し、世界を力の思想から解釈することを試みました。そこで出てくるのが、超人と永遠回帰の思想です。

 1662年8月19日、ブレーズ・パスカルは39歳で亡くなりました。膨大な収拾のつかない原稿の束を残して。これらの断片集は、1670年に「ポール・ロワイヤル版」として公刊され、1761年までに数十版を重ねました。初版『パンセ』では、甥であるエチエンヌ・ペリエが父フロランの代わりに、序文を執筆しています。エチエンヌは、ブレーズの姉ジルベルトとフロラン・ペリエの息子です。

 1897年、パルカルの『パンセ』は哲学者レオン・ブランシュヴィックによって、いわゆる主観的な視点からの完成版として出版されました。ブランシュヴィックは、パスカル自身のプランの発見は不可能と判断し、「合理的で、便利で、実際の用に立つ」という目的に従って、「自由な考え方で断章の配列」(パスカル著作集Ⅵ』田辺保全訳「パスカルの『パンセ』について」)をするという方針で『パンセ』を編集・出版しました。これが私たちが目にする機会の多い『パンセ』です。

 しかし、20世紀に入って、「第一写本」優位説に立つトゥルヌール版が出版され、その仮説に立ち発展させたアンジュー、ルイ・ラフュマらによって、「第一写本」の真実が証明されました。ラフュマ版『パンセ』(初版1949年、それ以降も変更有)は、パスカルの残した27の分類に従って、パスカル本人の意図にできるだけ沿った形で配列されています。

 第1章から第15章までは、人間の世界について書かれています。「正義、力」(L版103、B版298)はラフュマ版「第5章 諸事実の理由」に入っています。ブランシュヴィック版では近くに置かれている301がラフュマ版では711になっています。有名な「人間は葦である」(B版347)は「第15章 移り行き」の最後の辺り(L版200)に位置します。

 パスカルの思考の流れの中で、それぞれを読んだとき、また異なった趣で読み取れる気がします。『パンセ』の場合、ニーチェの『力への意志』に加わった編集過程での恣意性とは異なっていますが、ニーチェの遺稿集がそのままの形に編集・出版されたことで、ニーチェ力への意志の思想が読み直されたように。 

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