宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

大切にすべきは「よく生きるということ」

 PCR検査の拡充をめぐって、専門家会議の意見が変更されました。終息するまではまだまだいろいろ方向転換もあると思います。新学期を9月にしてはどうか、という見解も出されているようです。今回のパンデミックが終息したら、全部元通りではなく、これだけの行動変容の要請とその結果見えてきたものを、精査する必要があります。

 グローバル化がいかに浸透していたか、新型コロナウィルスは明示してくれました。私たちの慣習はそれに追い付いていません。新型コロナウィルスは、グローバル化の光と影をあからさまにしてくれたとも言えます。もう少しゆっくり行こう、という警告だったのかもしれません。現代社会は、効率と成果を重視し、それに対しては、かなり熟達しました。でも、人間としての倫理観はというと、相変わらずの部分がクローズアップされます。

 正義と思いやりは、20世紀後半の倫理学の主題でした。しかし、それらは慣習化しているとまでは言えません。共同体の中で培われてきた道徳は、社会変容の中で形骸化し、ボランティア精神や公共道徳などもまだ脆弱です。

 オンライン授業の要請を受け、そもそも哲学や倫理学は何のために存在するのか、と考えています。ピエール・フルキエは、フランスの高等学校文科系の哲学の教科書の中で、「哲学とは、人間がそれによって自己自身を理解しようとし、世界のなかでの自分の位置を確定しようとする思考の努力である」(『哲学講義1』68頁)と言っています。また「自分の職業について熟考すること、それは哲学をすることである」(59頁)とも。パスカルの『パンセ』に次のような文章があります。

 「一生のうちでいちばん大切なことは、職業の選択である。偶然がそれを左右する」(ブランシュビック版 97、ラフュマ版254

 私たちは仕事に向き合っているとき、集中することで、諸々の日常のわずらわしさから解放されています。考えなければいけないこと、向き合わなければいけないことから、瞬時、解放されています。考えなければいけないこと、向き合わなければいけないこととは何か。「私は何のために生きるのか」とか、「人間は何のために生きるのか」というような根本的な問いです。

 ソクラテスは、「善く生きる」ことこそが「幸福に生きること」であり、「善さ」とは何かを問い続けました。それを「魂に配慮する生き方」として、それこそが「よく生きる」ことと言いました。

 自分の人生を充実させたいと私たちは望みます。その時、仕事とか家族を持つこと、趣味を持つこと、ボランティアをすることなどを考えます。そして、それをどう実行するかの方法論に移ります。それが「よく生きること」であり、幸福につながると考えます。

 ところで、パルカルは、人が仕事や気晴らしに熱中するのはなぜかについて、このように書いています。

 「およそ人間の不幸というものは、一つの部屋の中に、じっと静かにとどまっていることができないという、ただ一つのことから起こっているのだ」(B版139、L版269

 さらにパスカルは「人間にとってただ一つの幸福は自分の条件を考えることから、気をそらすということにつきる」と書いています。何かに熱中して考えずに済ますか、目新しい情念の中にいつも溺れているか、かけ事や猟などの気晴らしをして気を紛らわす。問題は、何かを熱烈に追い求めることではなく、追い求めているものが手に入ったらそれで本当に幸福になる、というような求め方をしている点にあると、言っています。気晴らしとしてだけ求めているなら、求めることに誤りがあるわけではない。なぜなら、人間は自分に向き合うことを恐れるからであり、それほどまでに人間は空しく、惨めな存在なのだから、と。この観点からすれば、現代人がせわしないのは、人間の性から来ていると言えます。「効率と成果」という錦の御旗の元、人間の持つせわしなさは正当化され、現代において、効率よく成果を上げることは至上命令にさえなった。この価値観と全く無縁と言いきれる人は、現代では、少ないのではないでしょうか。

 「よく生きる」とはどう生きることなのでしょうか。幸福に生きることについて、ミハイ・チクセントミハイはフローという概念を提唱しました。彼は、幸福についての捉え方は、アリストテレスの時代から何ら進歩していないと言います。そして、幸福は直接探すのではなく、「自分の生活のあらゆる細部に十分に関わることによって見つけられる」と言いました。私もこの意見に賛同しています。しかし、「よく生きるとはどういうことか」という問いを棚上げにしたままでいいのか。この問いとしっかり向き合うことで、チクセントミハイの考えと同じところに辿り着くのかどうか、もう一度、問い直す必要があると思い始めました。

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  静峰ふるさと公園の八重桜。公園は閉鎖中。デイ・サービスでの久しぶりのドライブで車中から観桜。

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