宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

芸術家という仕事――「藤田真央 ピアノ・リサイタル」

 昨夜(8日)、佐川文庫での「藤田真央 ピアノ・リサイタル」を聴いてきました。17歳とは思えないほど、感性の滲む演奏でした。ピアニストは、技巧的には中学高校生でかなりの領域に達すると言われますが、その人の音の世界をにじみださせていくのはそれからとも。でも真央さん(君)は、天性のものでしょうか、技巧を超えて軽やかさや華やかさが伝わってきます。同じ佐川文庫のピアノなのに、弾く人によって違うんだなあと、改めて感じました。亡き中村裕子さんが「聴く者の胸をキュンと切なくする『なにか』をもっている」と表現した演奏。

 演奏されたどの曲も、集中力を要する曲で、聴いている方も凝縮した時間を過ごしました。一番前の席だったので、音が身体にぶつかるほどに響いてきましたが、息苦しさを感じませんでした。演奏に全身全霊で没入しているのが伝わって来て、終わりの頃には、聴いていた私も曲に集中することで瞑想の時間を過ごしたようなクリアな状態になりました。

 森有正が『バビロンの流れのほとりにて』の中で、ノートル・ダムのミサで献金を集めに来た若い層について書いています。かつて「若いのに可哀そう」と一緒にいた友人に言ったと。それを回想して、見方が変わってきたことを書いています。

 「一人の人間が、若い時に、人生の様々な経験によって擦りへらされる前に、自分が熱情を感じたものに、全人生を捧げることは、決して間違っていないのではないか」と。そしてそれは仕事の話につながってゆきます。

 「人間の『仕事』という問題は、人間感情の問題と実に密接な関係があることが、今になって僕にははっきりと分かる。仕事というものはいったい誰のためにするのだろう?‥‥‥仕事は心をもって愛し尊敬する人に見せ、よろこんでもらうためだ。‥‥‥しかし仕事の対象になるこの存在はいったい何なのだろう。何でなければならないのだろう。それでこの人の仕事の質が決定してくるのだ。実に恐ろしい問題だ。僕はたえずこの問題を考えている」(アンダーラインは強調点の代わりです)

 以前に読んだ時は、この仕事の考え方、あまりピンときませんでした。でもこの頃、少し分かる気がします。仕事に集中できる人は幸せだということ。それは何者かに対する「祈り」や「瞑想」につながるから。私たちは日常生活の中で、思い迷うことが多々あります。心を集中できないままに、疲れ果ててしまうことも。仕事はそれを断ち切る瞬間になり得る。

 芸術家の仕事は、それに触れた人に、疑似的感情レベルを体験させることができるのかもしれません。

h-miya@concerto.plala.or.jp