宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

村田夏帆 ヴァイオリン・リサイタル

 今日はあいにくのお天気になりました。午後から雨が降り始めて、夕方には結構降っていました。それほど寒くはありませんでしたが、今日は24節気の雨水です。雪が雨に変わり溶け始めるころです。その日のことを言う場合と次の節気の啓蟄(冬ごもりしていた虫が外に出てくること)までの約15日間を言う場合とあるようです。今年の啓蟄は3月5日ですから、4日までです。24節気と言われても、今まではあまり気にもしていませんでしたが、言葉に表現されている季節を感じ取るようになってきました。

 何に焦点を当てるのかによって、見えてくる世界が異なると思います。ずっと学校教育に関わっていると、何を学ぶのかがカリキュラム化されていて、それを基準に必要なものとそうでないものを選択することに慣れすぎています。知識の世界の広さや深さに、ため息が出てきます。24節気って何?と思って調べ始めると、分からないことばかり。そう言えば、この手の分野(天体とか天文とか)、苦手だったなぁ。

 今日は久しぶりにコンサートに行ってきました。村田夏帆さんが、地元の中学生なので仕事を休む決心がつきました。音が身体に浸み込んでくる感じが心地よかったです。夏帆さんは小柄で可愛らしく、奏でるヴァイオリンの音色の深くまろやかな音や切れの良い高音の響きとギャップがありました。どこまで育つのか楽しみです。

 演奏を聴きながら、演奏者が楽譜の世界から読み取るのは何なのだろうと考えていました。どういう世界を読み取っているのだろうと。もう少し年長の演奏者だと恐らく考えなかったことだと思います。彼らが提示する世界に浸っていました。解釈は出来ないのですが。でも、夏帆さんの演奏を聴いていると、彼女は楽譜を通して何をどういう風に読み取っているのだろうと、考えてしまいました。

 大学生の頃、友達が言った言葉を思い出しました。「楽譜を見ながらオーケストラの演奏を聴いていると、完全にこちらが思う通りの演奏はないんだよね」と。今で言うかなりのオタクだと思います。楽譜が表現する世界をどこでどう捉えるのかな、と驚いたことを覚えています。私自身は子どもの頃、音痴でした。耳から音程を捉えるのが苦手だったようで(今もそうです)、驚いた母親が音楽教室に通わせてくれました。楽譜を通してなら、音程を捉えて、歌えるようになりました。そんな私なので、とても初歩的な疑問を、音楽を楽しむことが当たり前の人には恐らくはてな顔されるような疑問を覚えました。

 夏帆さんは楽譜から何を聴いているのだろう、と。恐らくそれが演奏という形の表現なのでしょうが、それを通して何を伝えたいのか。例えば小説なら、その物語りだけでなく、語り口にというか語り口からこそ、読者は作家の伝えたいものを受け取ります。そこに展開された世界を浸しているものや、登場人物の心の在り様を理解し、その生き方に何かを感じます。そして、小説全体を覆っている雰囲気から作家の実存の在り様を感受します。書評と言われるものは、それを読者の側の言葉で表現したものだと思います。

 音楽行為は「作曲」「演奏」「鑑賞」で成り立つと言われるようです。私はこの「鑑賞」が分からないようです。作曲なんてとんでもない世界であり、演奏も人様にお聞かせするレベルではありませんが。特にクラシックの鑑賞は分かりません。話が飛びますが、美空ひばりの歌唱は凄いと思います。彼女の声の使い方は確かに天性のものだと感じます。でもこれも、最近、味わえるようになってきました。聴き続けることに意味があるのかな。心地よいものを聴くのは楽しみでもあるので、それで良しということでしょうか。

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            コンサートは満席でした。

h-miya@concerto.plala.or.jp