宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

折り合うことの難しさと忘れることの意義

 今日は建国記念の日でした。神武天皇が即位した紀元前660年1月1日(旧暦)を、明治時代にグレゴリオ歴(新暦)に換算して、2月11日が建国記念の日になりました。第2次世界大戦後の1948年に、GHQによって、日本文化から国家神道が排除される過程で廃止され、1966年に国民の祝日となり、翌年から実施されました。

 ここのところ、人と人が折り合っていくことの難しさを感じさせられることに、立て続けに向き合っています。どういう風にして行くのが、どう考えるのがよいのか、いろいろ考えますが、結局、答えは見つかりません。それぞれの立場で、言い分があるし、どちらも理解できる部分があります。また、人間同士そりが合う、合わないがあるのは事実で、これも仕方ない。

 じゃあ、どうするか。結局、問題を抱え込んで生活しているのが人生で、それを「何とかガマンできるところまで持っていくことで」私たちは、生きています。そのためには無意識を豊かにしていくことが必要で、それには別に精神分析の方法論を使う必要はない、と三好春樹さんは書いています。無意識を豊かにしていくには、生活を変える必要があり、それは現実を変えていくことだというのです。笑うことや遊ぶことの意義はそこにあると。

 確かに、問題に真摯に向き合うことは大切なことです。でも、煮詰まりすぎると、身体も固くなって、どんどん追い詰められていきます。解決の糸口が見えるどころか、ループに嵌りこんでいきます。人と人の関係には、そもそも、現実において、根本的解決はないのかもしれません。誰しも自分なりの「正さ」を必死に生きています。

 そういうとき、ふっと、まあ、仕方ないなぁと肩の力が抜けると楽になるし、瞬間忘れることがあると、思い出した時、視点がスッと変わっていて、そういうことかと思ったりします。でもだからと言って、生活に向き合う自分の感じ方や態度が変わるわけではありません。そうそう変わっては、自分なりの一貫性、いわゆる、アイデンティティが失われて、日常的に物事を決めることが出来なくなります。

 自分を悩ます問題を忘れるている時間を持つことの大切さですね。大人にとっての遊びの意義はその辺りにあるのかもしれません。

シラーの言葉:「人間は遊んでいるところでだけ真の人間なのです」1)

 今日は節分です。節分というと立春の前日、ここ35年間は2月3日ですが、2日の年や4日の年もあります。節分は各季節の始まりの日の前日のことで、立春立夏立秋立冬、それぞれの前日のことでした。節分は季節を分けることを意味しています。江戸時代以降、特に旧暦の新年である立春の前日をさす場合が多くなったようです。

 季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられていたため、それを払う悪霊払いの行事が行われていました。豆まきの行事は古くから行われていたようです。文献に現れるもっとも古い記録は、室町時代の応永32年(1425)で、すでにこの頃、都の公家や武家で豆まきが習わしになっていたようです。行事食の恵方巻はこの辺りでは最近です。

 さて、タイトルの表現は、正確には次のようになります。

 「人間はまったく文字どおり人間であるときだけ遊んでいるので、彼が遊んでいるところでだけ彼は真の人間なのです」(フリードリヒ・フォン・シラー『人間の美的教育について』法政大学出版局、2003年、99頁

 これは何を言っているのでしょうか。ここには人間的能力における遊戯衝動の位置づけが関わっています。遊戯とか遊びはドイツ語だと「spiel」、「戯れ」になります。遊びって何か?『ホモ・ルーデンス中央公論社、1971年を書いたオランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガ(1872-1945)は、遊戯は文化よりも古く、「遊戯の基本的な層のすべては、すでに動物の戯れの中にはっきりと現れている」(11頁)と言います。以下、遊戯について書かれている部分を、少し抜き出してみます。

 「遊戯というものは最も素朴な形式のそれ、動物の生活の中のそれでさえ、すでに純生理学的な現象以上のものであり、また純生理学的に規定された心的反応以上のものである、ということである。‥(中略)‥遊戯は何らかの意味を持った一つの機能なのである」(12頁)

 「遊戯は深いところで美的なものと繋がりを持っている」(13頁)、「人を夢中にさせる力の中にこそ遊戯の本質があり」、「自然はわれわれに遊戯を与えてくれた、しかもそれは、ほかならぬ緊張、歓び、面白さというものを持った遊戯なのである」、「遊戯の<面白さ>はどんな分析も、どんな論理的解釈も受けつけない」(14頁)、「無条件に根源的な生の範疇の一つとしての遊戯」(15頁)

 遊戯という在り様は、生の持つ根源的な在り様の一つだということです。それがどういうものか、は『ホモ・ルーデンス』の中で展開されていくことになります。ホイジンガホモ・ルーデンス(遊ぶ人)については、これからも少しずつ考えていきたいと思います。

 さて、シラー(1759-1805)は文豪ゲーテ(1749-1832)と同時代に活躍した人で、哲学的詩人とも言われます。その彼に大きな影響を与えた哲学者が、やはり同時代のイマヌエル・カント(1724-1804)です。シラーは、カントが芸術を人類に独自な根源的能力であることを証明した点に、強く影響されたと言われます。カントは芸術の国を、人間の意志を自然法則に従わせる現象世界(自然の国)と人間の自由意志が支配する叡知界(自由の国)とを連絡する関節として設定していました。シラーは美的文化の橋を設定して、自然国家から自由国家への到達を考えました。芸術の国を、理想を実現するための結節点と位置付けていたのです。

 ホイジンガは、遊びは動物の中にすでに見られると言っていますが、シラーは遊んでいるところでだけ真の人間なのだと言っています。ここからは、「遊び」という言葉で表現しているものの意味合いが違っていることが、分かります。「遊び」という言葉のカバーするものがどのようなものか。そして、シラーが人間を真に人間にするものと捉える「遊び」はどのようなものなのか。シラーの考え方をもう少し追ってみたいいと思います。

 節分の豆まきは年中行事ですが、遊び心が溢れていると思います。文化の底には「遊び」がある。文化そのものが遊びの結晶なのかもしれません。

気分は春に向かって

 テレビをつけると、連日、新型コロナウィルス肺炎のニュースでもちきりです。今日の生け花の会でもその話が出ましたが、でもまだ、実感が沸かないという感じです。インフルエンザは、一昨年15年ぶりくらいに罹って、しんどい思いをしました。インフルエンザより一般的に症状は軽い、と言われるとちょっと安心しますが、それでも何か不気味と言えば不気味です。マスクは売りきれているという話も出ましたが、取りあえず、マスクは常備しているので、人込みに出るときは、マスクすることにします。

 3月に横浜の中華街でランチしようという話を、広島の友だちとしましたが、それまでには終息に向かってくれますように。下は今日活けた花です。アルストメリアの濃い紫ピンクが華やかで、スイトピーの淡いピンクと一緒に春を感じさせてくれます。ネコヤナギも春を呼ぶ植物ですね。

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          アルストメリア(ユリズイセン)、スイトピー、ネコヤナギ、シダ

「まあ、ちょっと、取りあえず、これで完成としますか」

 タイトルの言葉は、ある認知症高齢者が、カレンダーを作ったときの言葉です。あまりに状況にぴったりの発言でしたので、スタッフは大笑いしてしまいました。それなりに出来上がったカレンダーで、もう少し手を加える余地も残っている。そういうカレンダー作製に対して発っせられた言葉でした。

 認知症状の出方はさまざまです。中核症状と言われるものでも、人によって出方が異なります。よく言われる記憶障害。年を取ると記憶力は衰えていきますが、通常は忘れたことに気がついています。何かの拍子に思い出したりもします。認知症による場合、忘れたことの自覚がありません。私も、ものをどこへ仕舞ったか忘れてしまい、探し回ることが結構あります。認知症によるもの忘れは、片づけたこと自体を忘れます。場合によっては、盗まれたと思って大騒ぎをしたりします。そのこともすぐ忘れますが、ただその経験の最中に抱いた感情は記憶しています。これはどういうことでしょうか。

 家族などから注意され、怒りを覚えたり悲しみを覚えたりすると、その感情は記憶しています。注意されたことの内容や理由(理解出来なくなっている場合も多々あります)は忘れてしまいますが、そのときの感情は覚えているので、注意した人の表情や声音には敏感に反応します。

 これは認知症状に関わる記憶障害や見当識(場所や時間や人を把握する力)障害、失認・失語・失行、遂行機能障害(目的に適った行動の計画障害・実行障害)、判断力障害などが主に大脳新皮質の機能なのに、感情は古い皮質と言われる大脳辺縁系、特に扁桃核が関わるからです。また、記憶障害に関しては、新しいことは忘れてしまいますが、昔のことは覚えています。アルツハイマー病で最初に病変をきたすのが、海馬という大脳辺縁系の一部で、ここは主に短期記憶が関わっていると言われます。選別されて大脳新皮質に送られた記憶が長期記憶です。記憶が蓄えられているのは側頭葉ですが、記憶が蘇るときには前頭葉から「読み出し」のシグナルが行くようです。

 さまざまに認知症状を示しながら生きる高齢の方たちは、豊かに蓄えられた対応の仕方を、自分ではコントロールできない状態にあります。彼らに心惹かれるのは、こちらの関わり方やその時々の状況、レクの題材などが「一人ひとりの生き様」を思いがけないカタチで引き出し、意表を突かれるからなのかもしれません。それらはマキャベリ的知性(駆け引き)も含め、ある種無防備に差し出されます。子どもが無防備に自らを差し出す姿に、大人はふっと心がほどけます。ただ、どちらにも、ケアする側の半歩引いたポジションと、まずは楽しむ余裕が必要なのでしょう。

キヴォーキアンと尊厳死2)

 キヴォーキアンの自殺ほう助が、尊厳死に入るのかどうか。むしろその目的からすると、積極的安楽死ではないかと思います。

 安楽死尊厳死をめぐる問題は、錯綜している部分があります。日本では、現在、消極的安楽死尊厳死はほぼ同じものと考えられています。消極的安楽死とは、不治の病で死が切迫し、患者に耐えがたい苦痛が存在するときに、患者の明示の意思表示に従って、延命のための治療を停止して死期を早めることです。人工呼吸器を外す、水分・栄養分の補給を止めるなど。尊厳死は、患者本人の意思で延命治療をしないことです。ここで治療をしないのは、患者本人の意思なので、医師の側には患者の命を終わらせるという意図や目的はありません。しかし、客観的に行われていることは同じとも言えます。

 積極的安楽死は、患者の命を終わらせるために薬を処方したり、注射をしたりして、意図的に死期を早める操作をします。間接的安楽死は、痛みをとるための処置が、結果的に死期を早める場合に言われます。

 アメリカでは、Death with Dignity、日本でいう「尊厳死」に、Aid in Dignity(自殺ほう助)を含んでいる場合もあります。オレゴン州の「尊厳死法」はそのいい例だと思います。キヴォーキアンの自殺装置による死の処方は自殺ほう助であり、意図からすれば、積極的安楽死に入ります。ただ、アメリカでもAid in Dignityは、自殺ほう助ではないとみなす人もいます。尊厳死と自殺とを明確に区別したいということです。

 キヴォーキアンは『死を処方する』(青土社、1999年)の中で、非理性的自殺を否定しています。

  「多くの無分別な自殺を引き起こした原因として知られているのは精神の恐慌状態であるが、私はこの恐慌状態を回避する唯一の方法は、いざとなればいつでも安楽(もしくは医師の介助による自殺)を受けることが出来るという安心感であると確信している」(274頁

 いかに死ぬか、まだまだ整理しなければならないことが多いです。

キヴォーキアンと尊厳死1)

 キヴォーキアンと言えば、ドクター・デスの呼称を思い出します。2011年に亡くなっていますが、1999年に第2級殺人罪で告訴され、10~25年の不定期刑という有罪判決が下されました。その後、2007年に健康状態悪化で仮釈放されるまで刑務所に収監されていました。

 彼はアメリカの病理学担当の医師でしたが、1989年、自殺装置を作って、末期病患者の自殺ほう助を始めました。1998年9月17日にALS(筋委縮性側索硬化症)患者を自殺装置で死亡させたビデオテープが、1998年11月22日に公開放映され、世論を紛糾させました。このケースでは、ALS患者が自分で装置を作動させることが不可能だったため、キヴォーキアンが装置を作動させました。これによって、彼は告訴されたのです。それまでに、130人に及ぶ患者を自殺装置で尊厳死させています。

 日本では安楽死尊厳死も法律がないので、患者が事前指示書を書いていても、それに従った医師が罪に問われる危険性があります。

 なぜこの問題を改めて考えるようになったかと言えば、施設で高齢の方たちと日常的に接するようになったからでしょうか。認知症状を呈するようになった方々は、どうも死を望みはしないようです。むしろ、意識がしっかりしていて、身体に痛みがある方たちは、ときに「早くお迎えに来てほしい」という言葉を発します。ただ、本当に死を望んでいるのかどうか。自殺したいとまで思うのか、というと疑問に感じます。

 日本でキヴォーキアンのような人は出てくるのだろうか。自殺サイトのようなものはあるのかもしれませんが、自ら名のって出て、尊厳死を掲げて自殺装置を作って実行に移す、という人が出てくるか。橋田壽賀子さんは2016年に「安楽死で逝きたい」と宣言して、大きな反響を呼びましたが、それは彼女自身の願望の宣言であって、他人を安楽死させるとか尊厳死させる、というものではありません。

 尊厳死安楽死の問題を整理しながら、もう少し考えてみたいと思います。

幸福をめぐって5)心の落としどころ

 バートランド・ラッセルは幸福な人たちの一般的特徴として「熱意」をあげました。人生への興味を失わない限り、人は幸せでいられる。しかし、です。人生100年時代の幸福はどう捉えられるのでしょうか。今年で、88歳になる作家の五木寛之さんは、「迷いは深まる一方」と言います。体力・気力の後退していく「下山の時代」をどうやり繰りして支えながら生きていくか、日々「のたうち回って生きています」と語られています(東京新聞』「生きる 人生100年時代に」2020年1月6日)。

 五木さんは日本自体も下山に入ったけど、「登山も楽しい、下山も楽しい」だと言います。それぞれに意味があって、それを見い出せるかどうか。確かに登山の時期は、人生においても、目標があって頑張りやすいし、達成感という充実感を感じます。こういう時期の幸せというのは、まさに「熱意」という言葉で表現できる気がします。

 中島義道さんは『不幸論』(PHP新書、2002年)で、幸福は錯覚によって成り立つという立場から、幸福であろうとすることから生じる様々な弊害を論じました。三木清は『人生論ノート』「幸福について」(新潮社、1954年)の中で、「我々の時代は人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか」(16頁)と書いています。『人生論ノート』は1938年6月号『文学界』に第1回目が登場しました。1938年といえば、国家総動員法が公布されて、戦時体制が確立した年です。その前年には盧溝橋事件から日中戦争が始まっています。時代背景を考えれば、三木が言おうとしたことが分かります。三木清は幸福とは人格だと言います。そして「今日ひとが幸福について考えないのは、人格の分解の時代と呼ばれる現代の特徴に相応している」と。翻って、中島義道さんが言う不幸とは、平時の人間の生活にまつわる幸福の成り難さに関わっています。

 私たちが日常的に求めているのは何なのか。生きている充足感のようなものではないでしょうか。「幸福」というと大上段に構える感じがします。登山の時代には、諸々の為すべきことがあり、それをクリアしていくことで達成感や充実感があります。いちいち幸福とは何か、と立ち止まって考えることはない。考えるときは、問題に直面しているときです。

 下山の時代はどうなのでしょうか。下山の時代にも、もちろん為すべきことはありますが、登山の時代のような切羽詰まった感は薄い気がします。ある意味、やってもやらなくても大差ない、とも言えるような。もちろん、下山の時代も今や働かなくては生活が厳しいという時代ですから、働き続けるという為すべきことはあります。しかし、やはり、登山の時代のような、自分以外に支えるものが多々あって、という状況とは異なっています。

 五木さんが「のたうち回って生きています」といった言葉が響いてきます。何を求めてのたうち回るのか。私は、今生きているということに、その都度、自分の心を合わせようと、心の落としどころを探してのたうち回る気がしています。その激しさは、人によって異なっていたとしても。

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