宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

キヴォーキアンと尊厳死2)

 キヴォーキアンの自殺ほう助が、尊厳死に入るのかどうか。むしろその目的からすると、積極的安楽死ではないかと思います。

 安楽死尊厳死をめぐる問題は、錯綜している部分があります。日本では、現在、消極的安楽死尊厳死はほぼ同じものと考えられています。消極的安楽死とは、不治の病で死が切迫し、患者に耐えがたい苦痛が存在するときに、患者の明示の意思表示に従って、延命のための治療を停止して死期を早めることです。人工呼吸器を外す、水分・栄養分の補給を止めるなど。尊厳死は、患者本人の意思で延命治療をしないことです。ここで治療をしないのは、患者本人の意思なので、医師の側には患者の命を終わらせるという意図や目的はありません。しかし、客観的に行われていることは同じとも言えます。

 積極的安楽死は、患者の命を終わらせるために薬を処方したり、注射をしたりして、意図的に死期を早める操作をします。間接的安楽死は、痛みをとるための処置が、結果的に死期を早める場合に言われます。

 アメリカでは、Death with Dignity、日本でいう「尊厳死」に、Aid in Dignity(自殺ほう助)を含んでいる場合もあります。オレゴン州の「尊厳死法」はそのいい例だと思います。キヴォーキアンの自殺装置による死の処方は自殺ほう助であり、意図からすれば、積極的安楽死に入ります。ただ、アメリカでもAid in Dignityは、自殺ほう助ではないとみなす人もいます。尊厳死と自殺とを明確に区別したいということです。

 キヴォーキアンは『死を処方する』(青土社、1999年)の中で、非理性的自殺を否定しています。

  「多くの無分別な自殺を引き起こした原因として知られているのは精神の恐慌状態であるが、私はこの恐慌状態を回避する唯一の方法は、いざとなればいつでも安楽(もしくは医師の介助による自殺)を受けることが出来るという安心感であると確信している」(274頁

 いかに死ぬか、まだまだ整理しなければならないことが多いです。

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