木曜日も猛烈に暑かったです。夜は雷が光り、一瞬停電しました。昨日も雷が光って雨も少し降りました。雨が降ると少し気温が下がり、涼しくなります。
外に出るのがおっくうになりますが、そうも言っていられません。古代ギリシアの気候風土って、どんなだったんだろうと思います。湿度が低いので、カラッとした暑さのようです。プラトン時代のアカデメイアを描いた図の写真などを見ると、そこに描かれている人は半分肩を出した緩やかな布を纏っていたり、上半身裸であったりと、とてもラフな格好をしています。
『ソクラテスの死』(1787年、ルイ・ダヴィッド作)に描かれている毒杯に手を延ばすソクラテスは、上半身裸です。紀元前399年の春にソクラテスは刑死します。正確な日付は分からないようですが、3月半ばから4月半ばの頃のようです。ソクラテスの裁判は、デロス島のデリア祭(アポロンの祭)への使節の派遣の時期に行われました。この祭は2月半ば頃のようですが、正確な日付は残っていないようです。悪天候のため、使節が戻ってくるまでに1カ月かかったようです。使節が派遣されている間は、刑の執行は行われないので、ソクラテスは刑の確定の後、1カ月近く牢獄で生き延びました。
『パイドン』はその最期の日を描写しています。副題は「魂の不死について」です。「神話―死後の裁きとあの世の物語りー」の部分では、魂の行く場所が語られていますが、日本のお寺で見た地獄絵とか三途の河とか、同じようなことが語られています。これは世界中に共通したものがあるのかどうかよく分かりませんが、少なくとも古代ギリシア人の語る死後の世界は、私たちに語り継がれてきた死後の世界と何と似ていることか。
そのうちで、もっとも大きく、もっとも外側にあって大地をぐるりと取り巻いて流れているのがいわゆるオーケアノスである。これと相対して反対方向に流れているのがアケローンで、これは幾多の荒涼とした土地を流れるが、特に地下を流れてアケルーシアス湖に達する。そこには、沢山の死者たちの魂がやって来て、ある定められた期間、あるものは長く、ある者は短く、留まって後、再び生き物として生まれるために送り出されるのである。 (『パイドン』岩波文庫、164頁)
オーケアノスは、ヘロドトス『歴史』やホメロス『オデュッセイア』に出てきているようです。大地をぐるっと経めぐる大河で、生者と死者を分ける境界です。アケローンは彼岸と此岸を分ける三途の河です。彼岸への渡航はオリエント起源の神話からギリシア神話まで広く見られる観念のようで、アケルーシアス湖が出てきたとき死にかけた人が良く語る湖を思い出しました。
死後の世界を語る語り方って、何処から来ているのかと考えてしまいました。私たちはどちらかというと、身体が朽ちるとき、意識も何もなくなると考えている気がします。まあ、魂の不死性の問題には不可知論として対応していると思います。でも「私が私である」ということはどこから来るのか。私の意識が成立するときには、「私が私である」ことは既に成立しています。そう考えると、魂と意識とは別物だと思います。
25日制作。モンステラ、クルクマ、ベッチーズブルー、自遊自在とネット