宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

「心の哲学」

 心と身体をめぐる問いは、哲学の中心的問いの一つです。心とは何であって、どこにあるのか? この心をめぐる哲学で、私が最初に鮮烈な印象を受けたのがリチャード・ローティでした。彼は、『哲学と自然の鏡』(Philosophy and the Mirror of nature,1979)で「心の発明」という言葉を使っていました。そして「心的なものはなぜ非物質的と考えられるべきなのか」という問いも取り上げていました。

 かつて心理学は哲学の中心をなすものでしたが、1879年にW・ヴントがライプツィヒ大学の哲学部に実験心理学の研究室を設立したことを嚆矢として、現代心理学が独立しました。これ以降、哲学は固有の問題領域を失い、方法論に特化していくことになります。20世紀を通して、分析哲学、哲学的解釈学、現象学などは、方法を意識化した哲学でした。これが哲学の古典研究と並んで、哲学の専門分野の骨格をなしていました。主題とすべき対象分野を持たない、というこの在り方は、私には具体の欠如として、行き詰まりを感じさせるものでした。

 ところで、哲学の古典分野というとギリシア哲学から始まります。ソクラテスプラトンアリストテレスの説を生き方の問題への思索として読むとき、魂という言葉が出てきます。ソクラテスは「魂がどうすればこのうえもなく優れたものになるだろうか」(ソクラテスの弁明』30a-b)をまず第一に考えて欲しいと歩き回って説得している、と言います。それはなぜかと言えば、「最も尊重しなければならぬのは生きることではなくて、善く生きることだ」(『クリトン』48-b)と考えるからです。この魂とは何なのでしょうか。心と同じなのでしょうか。では、心とは何なのでしょうか。理性とか精神とどうかかわるのか、説明しようとすると分からなくなります。プラトンは魂の三分説を唱えました。アリストテレスは魂は人間だけにあるわけではないとして、動物や植物の魂を言いました。

 『岩波講座 哲学05 心/脳の哲学』(2008年)で、心身問題の展開を次のように整理していることに目を開かされました。「魂の発見――いつ誰がどのようにして――」から「魂から心へ――自然=記号としての「我思う、ゆえに我あり――」、「心から脳へ――心的因果は本当に成り立つのか?――」そして「脳から身体・環境へ――エコロジカル・アプローチと拡張した心――」。魂と心をめぐる視点の整理、脳と心の関係、心の問題を身体・環境から捉える視点を整理しておかなければいけないと、気づかされました。

 1970年代からコンピュータ科学の発達に促されるように、心理学、コンピュータ科学、ロボット工学、脳神経科学などを統合した「認知科学」という新しい学問分野が成立します。認知をキー概念とする「認知主義」の見方のもとでは、心の働きは一連の情報処理過程と見なされます。人間の心の在り方について科学者が語りだしたことで、哲学者もまた、心や意識について改めて哲学的に議論する自信を取り戻したと言われます。もちろんその際、「心の哲学」は心理学者や経験科学者の語る内容を明示しつつ、語られるようになりました。

 ではこのような流れの中で、心身問題はどうなったのでしょうか。因果論的機能主義と目的論的機能主義という視点、さらに環境への適応を視野に入れた生態学的観点なども出てきています。1990年代以降は脳科学の発展によって、意識に対する意識主体の一人称的現象学的見方の限定性が、明らかになってきました。

 たとえば盲視という「見えていないが」「見えている」という症例があります。脳の視覚野は、Ⅴ1野(第1次視覚野)からⅤ5野(第5次視覚野)、IT野などからなります。網膜から入った視覚刺激が視床を経て最初に入力されるのがⅤ1野です。このⅤ1野が損傷されると、当然視覚刺激を感受したという意識はなくなります。ところが、例えば、「上方に動く点」を提示して、見えたかどうかを聞きます。当然見えないという答えが返ってきますが、「でたらめでもいいから、どっちに動いたかを示してください」というと、90%以上の確率で正解します。偶然の正解率は50%ですから、明らかに被験者は知覚しているわけです。これは見えたという意識レベルを処理している部位Ⅴ1野と、運動の知覚の中枢であるⅤ5野ルートは、一つだけではないことを意味すると言われます。

 意識の情報処理の経路の複数性は、意識の複数性とその統合の問題を示していると思います。共通感覚とか統覚といわれる問題と繋がるのではないでしょうか。また、意識体験の在り方としては、要素主義的な在り方ではなく、環境や自分の過去の経験を併せ持って意識しています。「世界内存在」という意識の在り方を実現しています。

 意識の問題だけでなく、自由意志・自己決定など「心の哲学」の分野の問題は、脳科学認知科学生態学などとの絡み、あるいはもっと実践的分野との絡みの中で展開していくのではないかと思います。

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