15日に、はまぎくカフェで「すごろくトーキングpartⅢ」をやりました。おしゃべりが好きな人にとっては楽しい企画だったようです。
清少納言の『枕草子』135段に「つれづれなぐさむもの。碁。双六。物語」とあり、『平家物語』巻第一・願立には、白河院の嘆きとして「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞわが御心に適わぬもの」とあります。ずっと、双六はサイコロを振って、ゴールを競うもの、と思ってきたので、何となく文章の雰囲気と合わないなぁ、と思ってはいました。今回調べてみて、納得しました。
すごろくは「双六」と書きますが、これはサイコロを二つ振って遊ぶゲームだったことから来ているそうです。サイコロの最大値の6がゾロ目で出ることで、形勢が左右されたゲームだったからです。すごろくの発祥は古く、紀元前3000年とも言われます。エジプトとかメソポタミアが発祥の地で、中国を経由して日本に入ってきたのが7世紀頃です。これは、盤双六という二人でやるボードゲームです。盤上のそれぞれの15個の石を、どちらが先にすべてゴールさせることが出来るかを競います。
盤双六は、サイコロによる偶然の要素が大きいため、賭博に用いられたようです。持統天皇によって、689年に初めての禁止令が出されています。盤双六は上流階級の婦女子のたしなみでもあったようです。
現在、私たちがすごろくとしてイメージするのは、盤双六の影響を受けて発展した絵双六で、複数人で遊びます。紙に絵を描いて、サイコロを振って、絵の上のマスにあるコマを進めて上がりを目指します。15世紀ころに仏教の世界観を絵や仏教用語で表した「浄土双六」が遊ばれていたという記録があるようです。庶民の間で流行するのは、17世紀半ばの元禄年間の頃のようです。
私たちがやったのは、絵双六の言葉編と言ったらいいでしょうか。マスに質問を書いて、その質問に回答するという形を取りました。
ただやってみて思ったことは、それぞれのマスに入れる内容の難しさです。それは、どう展開するかの難しさでもあります。話のきっかけをつくれるような内容にしないと、話が続かないなぁと思いました。いきなり聞かれても、考えてしまうものだと続かないです。それは受け方の問題でもあります。グループの中に受け方が上手な人が居ると、どんどん話を引き出せるだろうとは思います。
それと今回は、シェアリングが上手くいかなかったと反省しました。話した内容の発表よりも、メンバー間の話し合いを通して何を感じていたかを振り返って、それを伝え合うという時間を取るのを忘れてしまいました。これが、一番肝心だったのかも。
すごろくトーキングの楽しさは、よく知らない人の語る内容から、その人を感じ取ることと、そういう話を通して人が感じていることを知ることなのだろうと思います。