19日に、静嘉堂の記念展を見てきました。静嘉堂@丸の内は、明治生命館1階にあります。今回は、「お雛さま 岩崎小彌太邸へようこそ」と題して、岩崎家の雛祭りで飾られた「お雛様」をメインにした展示でした。
ホワイエ(客だまり、ロビー)だけ、写真撮影許可
下の写真は、岩崎小彌太鳥居坂本邸での雛飾りの写真です。展示場では、横に並べられていました。男雛女雛のお顔は、子ども顔でしたが、3人官女はもう少し大人びていました。解説を、故八千草薫さんの声で聞きましたが、雰囲気があっていて、かつお雛様の情報が色々語られていて、とても良かったです。
これらのお雛様は、岩崎小彌太(1879~1945)が孝子夫人のために(二人に子どもは居ません)、京都の人形師に特注したものだそうです。雛人形の背景の川端玉章の「墨梅図屏風」も一緒に公開されていました。夫妻は、日本画の前田青邨に日本画の手ほどきを受けています。その青邨の描いた唐獅子や蘭陵王も飾られていて、見ごたえがありました。
孝子夫人をとても大切にしていて、昭和初期の家庭として、ちょっと不思議でした。でも、孝子夫人が、島津珍彦(うずひこ)の娘で、母は島津斉彬の4女典子と知って納得しました。彼女のお父さんとお母さんはいとこ同士。お父さんは斉彬の異母弟久光の息子でした。斉彬は薩摩藩第11代当主で、養女篤姫は13代将軍徳川家定に嫁いでいます。斉彬のお母さんは賢夫人の誉れ高かった弥(いよ)姫ですが、鳥取藩主池田家から嫁いできました。弥姫は徳川家康や伊達政宗の血を引いていることになります。斉彬と久光の家督争い(お由良騒動)は有名ですが、弥(いよ)姫が生きていたら起きなかっただろうと言われています。
岩崎小彌太は三菱財閥の4代目当主です。三菱財閥は、土佐の地下浪人出身、岩崎弥太郎を創設者とします。小彌太は弥太郎の弟弥之助の息子で、弥太郎の甥にあたります。戦前の三大財閥は、三井・住友・三菱で、第2次世界大戦後に解体されました。三井・住友が100年以上の歴史を持つ旧家で在ったのに対し、三菱は明治期に弥太郎が政商として一代で築いたものです。時代の変わり目というのは、こういう激変が起こります。
この美術ギャラリーは、静嘉堂文庫(弥之助・小彌太親子のコレクションを基礎に発足)の所蔵品を展示していますが、もとは世田谷区岡本にある静嘉堂文庫の新館を美術館にしていたようです。ここの美術館を閉館して、2022年10月1日に、現在の丸の内の明治生命館1階に移設されました。交通の便からしても、行き易いですね。世田谷区岡本では、「よし、行こう」と決意しないとなかなか行けません。カレンダーの収蔵品の写真を見ながら、一度行ってみたいと思っていたので、丸の内だとちょっとついでに、という感じで寄れます。
ちなみに、六義園に近い本駒込の東洋文庫は、三菱財閥第3代目当主岩崎久弥が創設したものです。久弥は三菱財閥創設者岩崎弥太郎の息子です。三菱財閥の当主は、弥太郎、弥之助、久弥、小彌太と繋がり、小彌太の時代に財閥解体で、終焉を迎えました。兄、弟、兄の息子、弟の息子と繋いだわけです。この関係もちょっと興味がありますが、それはまた機会があったら、調べてみます。
今回のお雛さま展も素敵でしたが、一番印象に残ったのは、牧敏高作「能彫 梅若六郎能姿 羽衣」(明治末~昭和初)でした。出来れば、もう一度、ゆっくり観たいです。