宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

なぜ人は協力するのか

 問題は、なぜ人は協力しないのかではなく、なぜ人は協力するのかにある、という指摘はその通りだと思います。互いに協力した方が協力しないより良い結果になることが分かっていても、片方だけが協力しなければその方が得になると分かっている場合、協力と非協力を決めかねてしまう状態に陥いります。これがジレンマですが、有名なのは囚人のジレンマです。これを三者関係以上に拡大すると、社会的ジレンマの話になります。個人にとっての適応の観点からすると、必ずしも 維持することに動機づけられない規範が、社会全体としてみると確かに存在します。これはジレンマに対する解決法と言えるでしょう。

 「情けは人の為ならず」「損して得取れ」等という諺があります。ではこれはどういう経験の蓄積から来ているのでしょうか。囚人のジレンマでは、協力して黙秘している方が、例えばそれぞれは3年の刑を受け、二人をグループとして考えると一番得です。しかし、片方が裏切って自白すると裏切った方はより得をして(不起訴)、黙秘したままの方が重い罰(無期)を受けます。ただし二人して裏切ると二人とも協力した時より重い罰(各自10年の刑)を受けますが、黙秘して相手に裏切られた時よりは軽くて済みます。個人としては相手が黙秘するなら自分は自白した方が得だし、相手が自白するならやはり自分も自白した方が得です。つまり個人としては、協力しない方が得になります。にもかかわらず、多くの相互依存関係では協力が見られる不思議。

 これに関しては、アクセルロッドが行ったコンピュータ・シミュレーションが「相互依存関係では協力関係の維持が結局は長い目では得になる」を実証しました。これは、協力から始め、非協力には非協力で応じ、相手が協力に変更すれば即協力に変更する応報戦略です。この戦略は引き分けか僅差負けですが、トータルではあらゆる戦略の中で一番得点を得ました。その勝ち方も、大きな勝ちではなく僅差で勝っています。

 一回限りの囚人のジレンマとは異なり、持続的な二者関係では、圧倒的な一人勝ちは不可能ということです。ギブ・アンド・テイクの協力関係が血縁関係以外でも結ばれてきたのは、人類の適応の経験則から来ているのでしょう。この互恵性の規範が、コンピュータ・シミュレーションで実証されたのは面白いと思います。

 では二者関係を超えた社会的関係におけるジレンマには、そのまま適用できるのでしょうか。いわゆる共有地の悲劇と言われる問題があります。誰もが使える有限の資源の管理の問題です。現在、地球温暖化という形で対応を迫られているような問題。どうもここには罰則を伴う規範の必要性が有効と考えられています。正義とか公正さの問題が、20世紀の倫理学の中で重要なテーマでしたが、21世紀になり社会科学の分野でも、人間社会の広い協力関係を理解するうえ注目されてきているようです。

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            10月20日の田んぼ

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