宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

人間の社会性とグループの非効率性

 人間の社会性とは何か。辞書的には、「集団を作って生活しようとする人間の基本的性質」「社会生活を営む能力」「社会生活に関連する度合い」などと出てきます。この社会性をめぐっては、生得的(生まれながら)なものなのか、それとも社会化の過程で獲得していくものなのか、というような問いも出てきます。これはまた別に考えてみたいと思います。

 人間の社会性とは何か、に戻ります。人間の社会性とは、人間を社会的動物にする何らかの特性と捉えるなら、その特性はどのようなものなのか。これを社会的に方向づけられた適応的行動という捉え方もされます。適応とは何か、と言えばこれはもともとは生物学の概念ですが、環境に対応して生存の確率を高めることと言っていいと思います。ところが、個人の適応を高めるやり方と集団の適応を高めるやり方は、矛盾することがあります。いわゆる、囚人のジレンマに表明されるような社会的ジレンマの問題です。

 道徳や法律が関わる領域は、まさにこの調整に関わっています。また群れで行動することで生じる問題には、集団が個人に及ぼす影響の問題や集団の持つ極端化の傾向などがあります。集団で問題を考えることの効率性については、1940年代から50年代にかけてかなり行われました。以下、『複雑さに挑む 社会心理学』(亀田達也・村田浩二共著、有斐閣アルマ)を参考にしつつ、まとめてみました。

 1932年にM・E・ショウが発表した実験では、確かにグループの方が高い正解率を出していました。誤答をチェックする機能が、集団の方が発揮されやすいためです。これは分かる気がします。文章を書いても、他人にチェックしてもらった方がよくなります。ただ、問題解決にかかる時間や人数からして本当に効率的なのか、早い段階から疑問が呈されてきました。

 よく言われる「三人寄れば文殊の知恵」という諺は、実証されるかどうかを紹介しておきます。この諺は人が集まるほど、いい知恵が浮かぶ、ということですが、ほんとうかどうかが、実験で確認されています。

 例えば、5人がそれぞれ問題を解いて、それから全員で話し合ってグループの回答を出すという集団問題解決の実験があります。正答者がいない5人グループが話し合いの中で正答に辿り着いたのは、12グループ中1つだけ、正答率0.08%だというのです。初期正答者が1人で後の4人が誤答者の場合、正答率は0.73でした。基準モデルとして、各人がばらばらに答えを出してその中に正答があればグループの正答にする、という機械的集計をやると、グループに正答者がいない場合を除いて、常に正答率は1になります。実験では、正答者が4人・誤答者が1人の時と、全員正答者の場合のみ、正答率が1になりました。

 ここから分かることは、どうも話し合いで創発性が発揮されるというのは、誤りだということになります。少なくとも答えが分かっているような問題の場合、話し合いで正答に辿り着けるのは、メンバー全員が正答している場合か、5分の4が正答している場合ということになります。ここから言われているのは、グループの遂行力は、平均的なメンバー個人の遂行力より優れているが、その中の最良のメンバーの水準を超えることはないということです。しかし、最良のメンバーだけを集めたらどうなのでしょう。問題に合わせて、最良のメンバーを選択するだけでも大変でしょうが。

 どうしてこういうことになるのか。集団の中で、メンバーが持っている本来の資質が発揮されずに失われてしまうことが、なぜ起きるのかということです。集団での課題遂行のこのような効率低下をプロセス・ロスとI・D・スタイナーは名付けています。スタイナーは2種類の理由を挙げています。一つはメンバーのやる気に関わる側面です。グループの中での役割や貢献度があいまいだと、手抜きして他のメンバーに寄りかかろうとする誘惑が生じます。ポーズで対応していた方が個人的には得、という社会的ジレンマの一種です。

 もう一つの理由がメンバー間の行為の相互調整の問題です。綱引きの例がよく出されますが、たとえ手抜きがなくても綱を引くタイミングや方向がメンバー間で調整できていないと、個人の力の総和がグループ全体の力にはなりません。

 それでもグループで作業することに意味があるとすると、それは何なのでしょうか。認知人類学者(そういう分野があるんですね)ハッチンズが大型船の航行チームを詳細に観察して気が付いたことは、社会的分業体制と領域を超えた介入が結構頻繁に起こることでした。要は緩やかな分業だったということです。これは事故が起こることを未然に防ぐ体制と言えるわけです。ということは、ある程度、メンバーは他の仕事にも精通しているし、自分の仕事だけに集中し過ぎないということです。効率が下がるやり方ではありますが、致命的なエラーを避けるには必要なやり方とも言えます。

 グループの大きな役割は、致命的エラーを避けることにあるのかもしれません。先にあげた5人で正解を話し合う実験の正答率に関しても、正答者が2人以上になると、その正答率は一気に1に近づきます。2人以上の合意を必要とするという社会過程は、問題に対する平均的回答者の個別の回答よりも正解に近づき、かつ大きなエラーを犯すことを防ぐ安全装置になっている。

 真の意味での創造性は、個性の発展の中でしか生まれないのでしょう。しかし、グループワークの社会的意義には、個人ではできな仕事を成し遂げる効率性の発揮と、同時に、少々効率性を犠牲にしてもエラーを防ぐという重要な側面があるのかもしれません。

h-miya@concerto.plala.or.jp