宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

認知行動療法

 認知行動療法について知り合いから聞かれました。以前に講師をしたアサーションに関するセミナー(女性プラザ男女共同参画支援室にて)で、少し触れたことがあります。セミナー出席者で、認知行動療法に関心をもっている方がいて、セミナーが終わってから、その話になりました。私の専門ではありませんが、少し考えてみたいと思います。

 認知行動療法というのは、神経症やノイローゼの人たちが感じる不安の治療技法として展開したものです。不安を生じさせる「感情の癖」を改め、解除する別の習慣へと再学習して訓練します。これらは最初行動療法で行なわれていました。それらはアルベルティとエモンズによって、アサーティブネス・トレーニングとして発展させられ、さらに万人の能力開発に展開しました。この行動療法は健康な人がより健康になるための教育的アプローチになり、それが認知の領域にまで拡がっていきました。これを最初に提言したのが、アルバート・エリスです。

 エリスは、論理療法の創始者です。論理療法とは簡単に言うと、刺激があって反応が生じるのでなく、刺激はそれを受けた人の考え方・信念を通過して反応を生み出す、ということです。例えば、誰かに嫌われたとします。嫌われるのは嬉しくはありませんが、そういうこともあると淡々と受け止めるか、ひどく落ち込んでしまうか、分かれます。これはその人の信念が影響しているからだということです。誰からも好かれなければならない、誰からも好かれたい、という信念を持つ人は、「あなたのこと嫌い」と言われれば、世界が終わったような気になるかもしれません。

 しかし、誰からも好かれたいという願望が、適うことはまずありません。自分のことを考えてみても、好きな人と苦手な人がいます。そう考えれば、お互い様です。苦手な人を無理に好きになる必要はないし、そういうものとして対応すればいいだけです。同じように、自分を好きになってくれる人もいれば、嫌いだと感じる人もいます。まあ、はっきり嫌いだ言われればショックですが。よく言うな、と思うしかないし、それで良いのではないでしょうか。他人は変えられませんから。自分に無理する必要もないし。

 というようなことが、論理療法です。単純化しすぎているかもしれませんが。エリスは、ビリーフ(信念)を合理的なラショナルビリーフと非合理的なイラショナルビリーフに分けます。ラショナルビリーフは、事実に即した、飛躍の無い、論理性の在る考え方で、自分や他人を支援する考え方です。これに対して、イラショナルビリーフは、反対の傾向を持ちます。妄想に近い考え方、事実を見ていない思いこみ、飛躍のある論理性のない考え方、自分や他人を否定するような考え方です。

 難しいのは、理想を掲げる場合です。でも、それが自分の生き方や他人の生き方、現実の社会を全面否定する場合は、イラショナルビリーフになっていると考えていいと思います。何のための理想なのかと言えば、今を少しでも良くするためであり、全面否定するためではないと思います。ただこの考え方は、非人間的な独裁体制への政治的抵抗の問題を考えるときには、当てはまらないので、注意が必要ですが。

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