宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

小さな幸せ

 今日は真冬の寒さがぶり返し、桜に雪が降っている地域もありました。この辺りは、小雨と寒さだけでしたが、体調がおかしくなります。

 なんか気分も弾みませんが、こういう時は、ちょっとした好きなものに気持ちを寄せると、嬉しくなります。例えば、久しぶりに見たアメリカのテレビドラマ「CSI:科学捜査班」が面白かったので、また見ようと思うことで気分が上がります。晴れたら、畑の草を取って、夏野菜を順番に植えていこうとか。気の合う友人との何気ないひと時も嬉しいものです。そして美味しいものを作って食べること。何かを作る喜びはどこから来るのでしょうか。作り出すことには、私たちの根源的欲求が関わっているのでしょうか。

 そういう小さな幸せが、おそらく気持ちを緩めてくれて、ほっこりさせてくれるのだと思います。疲れているときは、そういう小さな幸せ、好きなことに気持ちを向けることにしています。やらなければいけないことは後回しです。

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 4月6日 久しぶりに会った友人と民家レストラン「グルメ・ド・タカ」でのちょっと贅沢なランチ。

桜巡りて想う

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            4月7日那珂湊図書館脇の広場の桜

 花が桜に変わりました。日曜日(7日)の那珂湊図書館脇の公園の桜です。月曜日には、常陸大宮市に行って来ました。ここは、ひたちなか市より、少し開花が遅かったようです。丁度、今日、満開になりました、と言われました。ひたちなか市の桜は、葉桜のところも出て来ています。

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           4月8日 花の寺 弘願寺にて(常陸大宮市

 花の寺、弘願寺の桜です。境内にはくすぐり地蔵があり、地蔵の体の、自分の病んでいるところと同じところを触ると、病が治ると言われています。身代わりになってくれるわけです。「聴くだけ観音」では、椅子に座って観音菩薩に向き合っていると、心が静まっていきます。久遠の中へ私の声が吸い取られて行くような、そういう静謐な瞬間に、ふっと心の緊張が解けていくような感じになりました。

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              4月9日 旧県庁お堀端の桜

 旧県庁のお堀端の桜です。今年が見納め。今日、本を返しに図書館に行ったので、写真に収めました。故高木きよ子先生は桜が大好きで、この時期になると心が騒いで、じっとしていられないのよ、とおっしゃってました。高木先生には到底及びませんが、やはり、桜が咲く時期は気になって歩いてしまいます。

 高木先生は宗教学者であると同時に歌人であり、属されていた「宇宙風」にもお誘いいただきました。ただし、私にはその才がまるでなかったようで、続きませんでした。でも、言葉の美しさや難しさに気づかせてもらえました。

  「さくら花飽かず追ひゆきその果てにあふるる程の春に逢ひにき」

                       (高木きよ子『歌集 花明り』昭和53年

  「かがよひて天を蔽へり散りしきて地を埋めたり桜まんだら」

  「あれほどの桜ことごと浚ひゆきいづちをさして春は行くなる」

                      (高木きよ子『歌集 夕桜』平成10年

 「あう」という言葉を漢字にすると「会う」「合う」「遭う」「遇う」「逢う」などと出てきます。最初の二つくらいは、使い分けますが、あとの三つはあまりなじみがないのが普通ではないでしょうか。「遭う」はばったり出あうことで、どちらかというと酷い目にあうときに使います。「遇う」は思いがけなく出あうことですが、「幸運に遇う」とか「ばったり遇う」というように使います。「逢う」はお互いに行きあうこと。そうか高木先生は、桜と出逢っていたんだ、と納得します。でもその一方で次のようにも詠みます。

  「桜咲けばいづこまでもと追ひてゆくわが執念は片恋にして」(『夕桜』

 「浚ひゆき」は、最初読めませんでした。漢和辞典を引いて「浚う」は「さらう」と読むこと、井戸や川の底を深くすることだと分かり、歌のイメージが湧きました。この頃は、ひらがなで書いてしまうことが多くなっていますが、漢字は奥が深いですね。桜を追い求めて春と出逢うと詠みながら、桜へのおもいを片恋とも詠む。人の「おもい」も複雑で奥が深い。

 高木先生は「想(そう)」という題で歌集を出したかったそうですが、「おもい」とも読むこの字、でも「おもい」と読まれては意図が異なるということで、迷った挙句にあきらめたそうです。「想(そう)」とは、仏教で、すべての対象を意識の中で構成する作用のことだそうです。確かに、高木先生の歌は、抒情歌のようでいて、かなり理屈の歌だという気がします。意識による構成作用として、歌を創っていたのかもしれません。 

春の庭

  ようやく春らしい陽気の一日がやってきました。また、ハーブを植えようと思って、庭の草取りをしていたら、昨年植えたハーブがすでに育っていました。ちょっと感激です。水仙やヒヤシンスも花を咲かせ始めていて、「春だなぁ」と嬉しくなりました。

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レモンバームが草の中に埋もれていました。ローズマリーも放っておいたのに花が咲いてました。

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「自分で」は「一人で」ではない

 あっという間に、31日です。23日に「千葉・茨城教授学研究の会」の春合宿があり、参加しました。発表の時間をもらい、「吉野源三郎君たちはどう生きるか』をめぐって」と題して話しました。私の中でも、どう提示していいのかわからないままの報告になってしまい、聞いてくださった方たちも戸惑ったと思います。

 授業に関する報告というのは、やってきませんでした。桜美林大学でメディア専攻の科目を担当していたとき、学期末毎に研修会がありましたが、簡単に自分の授業報告をする形式でした。「千葉・茨城教授学研究の会」のような、授業の具体的一場面を取り出して、参加者みんながああでもない、こうでもないと言い合うようなものは、やったことがありません。

 林修さんがある番組で、「皆さんで一緒に考えてください」との講師の人からの指示に、「僕それが一番苦手です」「考えるのは一人です、と子どものころから言ってました」というようなことを言ってました。まあ、確かに「自分で考えなさい」とよく私も言います。でも、ああでもない、こうでもないと話し合っているとき、それはやはりみんなで考えている。どこまでが自分の考えで、ここからはほかの人の考えで、なんて振り返るのは、後から、一人になったときです。

 メルロ=ポンティの『知覚の現象学 2』の中に、対話は一つの織物を織りあげる経験であると述べている、次のような一節があります。

 「現在おこなわれている対話においては、私は自分自身から解放されている。つまり、他者の考えはたしかに彼の考えであり、それを考えているのは私ではないのだが、私はそれが生まれるやいなやそれを捉え、むしろそれに先駆けてさえいるのだし、同様に、相手の唱える異議が私から、自分が抱いていることさえ知らなかったような考えを引き出したりもするのであり、こうして、もし私が他者にさまざまな考えを考えさせるのだとすれば、他者もまた私に考えさせているわけである」(219-220頁)

 他の人の考えと自分の考えがたがいに触発しあって、化学変化を起こしていく。「千葉・茨城教授学研究の会」の合宿の中では、時にそういうことが起こっています。

 27日は生け花の集まりでした。ここでもやはり自分一人では作れない作品ができます。もちろん先生の力が大きいのですが、他の人たちの作品からの刺激も大きいし、ヒントもいただけます。なるほど、こういう高さと色の組み合わせにするといいのか、と自分の作品に生かせるものは生かします。同じ素材の場合、アイディアを頂戴する形になってしまいそうですが、それがそうはなりません。独自性とか独創性とか、確かに大切ですが、それは他の人の意見や作品から触発されることを拒否するものではありません。

 「一人で」と「自分で」は別のことですが、つい、「自分で」は「一人で」のことと思いがちです。私は、「一人で」に拘りすぎていたかなぁ、とこの頃、思います。

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私の作品(モンステラフリージア、スイトピー 、雪柳)     Hさんの作品(花材は同じ)

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          Kさんの作品。お生花(しょうか)です。

介護士って?

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         2019年3月18日 弘道館公園 今がまさに盛りで圧倒されました。

 今日(20日)は晴れて暖かく、春というより初夏に近いようです。でも、週末は一気に10度くらい下がるようで、体調管理気をつけないと風邪ひきそうです。少し、のども痛むので。

 介護士の仕事って何なのだろうと、折に触れ考えています。子どもの放課後デイなどでも介護士の資格が活かせます。養護教員から話を聞いていると、介護士の仕事と重なる部分が多い。介護士というのは要介護者の生活の伴走者だと思います。教育でも、古代ギリシアでは子どもに就き添いながら躾をする教僕(パイダゴゴス)という存在が居ました。教育の原点には、伴走者という発想があるのではと思います。

 カントは『教育学講義』の冒頭で、「人間とは教育されねばならない唯一の被造物である」「人間は教育によってのみ人間となることができる」と言います。この人間とは、カントの根本の三つの問い「私は何を知りうるか?」「私は何を為すべきか?」「私は何を希んでよいか?」(純粋理性批判)が収れんされる第四の問い「人間とは何であるか」(『論理学』)の「人間」のことです。「私」が主語の3つの問いが、「人間」が主語の問いに収れんされることへの疑問は、カント研究者が言及していますが、私も、突然問いが飛んだという感じがします。ここはこれからも考えなければならない問題だと思います(やはりカントは戻っていく何かだと感じています)。

 ともあれ、教育も介護も根源的問いとして、「人間とは何か」があると感じます。そしてその実践には、伴走者としての側面があるのではないでしょうか。 

『感動する脳』

 茂木健一郎さんの『感動する脳』を読みました。改めて感情や感動の、生きる上での大切さを理解できました。

 人間の脳は感動することで活性化されます。その感動はどこから生じるかというと、「意外性」と「なつかしさ」だと言われます。そして、感動が生まれるには空白が必要です。茂木さんはギャップ・イヤーの例を挙げます。これはイギリス貴族のグランド・ツアーが発祥だそうです。

 グランド・ツアー(Grand Tour)は、17-18世紀のイギリスの裕福な貴族の子弟が、学業の仕上げに行った私的な長期の外国旅行のことです。一種の修学旅行とも言われますが、そうか修学旅行の発祥はグランド・ツアーだったんだと思います。なんか全然別ものですが。グランド・ツアーの目的は見聞を広めることであり、数か月以上をかけて、家庭教師が同行しての旅行だったようで、トマス・ホッブズアダム・スミスも同行家庭教師をやったようです。

 ギャップ・イヤーというのは、高校を卒業してから大学に入る前に、約一年間どこにも属さずに過ごす時間で、イギリスでは普及しているようです。その間、ボランティアをしたり旅行をしたりして過ごします。日本ではこの選択肢が少なく、リスクを伴います。一度軌道からそれるとなかなか戻り道がないし、戻ったとしても空白の時間がマイナス評価されがちです。どうも怠けていると評価されるようです。この空白の時間をどう使うか、それは個人に任されていますが、それを評価する哲学も指標もないようです。

 茂木さんは、人間の脳が感動したり、創造性を生みだす上で、空白の時間を持つことはどうしても必要なことだと言っています。ところが、これが日本の社会にはなかなかなじまないし、定着するまでにはかなりの意識改革が必要だろうとも。日本人は、具体的な目的を設定して、それに邁進していないと不安になるようです。

 サラリーマンが定年になって空白の時間を持て余す、というのはよく聞く話です。大いなるギャップ・イヤーを手に入れたとはなかなか考えられない。ボランティアも趣味もどうも義務化して仕事化してしまう。そのものを感動するために使うのが下手。思い当たります。

 介護の現場に入って、最初はとても新鮮で刺激を受けました。1年を過ぎる頃から、どうも義務化してきて、身体的にも疲れが出て、2年を超えた辺りで休みを取ることにしました。でも、講習会などに出ると、なつかしく楽しいのです。介護の場にある人の近さが、人間関係の原点だからかもしれません。

 茂木さんは、若い頃のギャップ・イヤーは仕事におけるキャリア・アップに役立つが、定年後のそれは、ひたすら脳のキャリア・アップを目的にすればいいと言います。脳は生きている限り成長を続け、たとえ身体が動かなくなっても、脳は鍛え方次第でどんどん進化する。この人間に与えられた能力を使わないのは損だと。その通りです。そしてそのためには、「感動する」ことが大切だと。

 人間の人間たるゆえんはどこにあるのか。ヨーロッパの思想は、魂とかこころ、精神特に理性や考える能力を重視してきました。その反動というか、反省から身体への着目がされるようになりました。それと同時に感情の重視も出てきました。

 人間は複合的存在だなぁと改めて思います。脳科学という現代の最先端の科学領域が解き明かす人間のあり様。そして脳は進化し続けるという事実は、やはり希望を感じます。

「ふくし職慟」

 12日と15日に茨城県福祉人材センター主催の「ふくし職慟」講座に参加しました。12日は「排泄の仕組みとオムツの使い方」、15日は「移動・移乗介助」でした。両方とも、なるほどがありました。

 「オムツの使い方」では、どういう風にあてることでピタッと収まるか、納得しました。ただこれは、何度も実際にやって習得していく部分が重要で、講座でやって何とかなったから大丈夫ではありません。それにしても、子どものオムツ、ちゃんとあてられていなかったなぁ、今更ですが。

 15日の「移動・移乗」も目から鱗でした。基本は利用者さんの状態やそのときの道具等の状況に合わせて動くということでした。講座では、軽度の介助で済む人の例で実践しました。その人に残っている力を使いながら、ベットから車イスへ、横にスライドするように移乗を助けるというやり方です。ただし、介助者側がその動きが苦手な場合は、従来教えられているような、立ってもらってから、向きを変えて車イスに座ってもらってもいい。

 ただどちらの場合でも、利用者さんの足の間に介助者が足を入れるのは止めた方がいいことを教えてもらいました。介助者の外側に利用者さんの足が残ってしまうと、残った側への配慮が欠ける可能性が高い。これはその通りです。それと介助者の足先の向け方も、不必要に体をひねらないように、片方は移乗するイスの方向に向ける。

 身体の使い方が理に適っているほど、利用者さんも介助者も負担が少なくて済みます。講座では2人一組でやってみましたが、現場では利用者さんそれぞれの状態に合わせて動く必要があります。ポイントを押さえた上で、これも身体で覚える必要があります。

 現場では忙しさもあって、何とか凌いでしまうと、対応回数が少ないものは忘れてしまって、振り返って教えてもらうことができていませんでした。しかし自分の中に、疑問が溜まって行く感じはありました。対応回数が多い場合でも、基本的なことを整理して学ぶ機会は、自分で見つけないとありません。

 座学だけだと、おそらくそれらの知識は意味が分からないので定着しなかったろうなぁとも思いますが、実践だけだと疑問が解決しないままになってしまいます。この辺りのバランスの難しさを感じます。シュタイナー教育の理念の一つに、頭から入ったものは身体へ、身体から入ったものは頭へ、というのがあります。私たちが生きるということは、本当にそういう全体的な行為なのだと思います。

h-miya@concerto.plala.or.jp