宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

桜巡りて想う

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            4月7日那珂湊図書館脇の広場の桜

 花が桜に変わりました。日曜日(7日)の那珂湊図書館脇の公園の桜です。月曜日には、常陸大宮市に行って来ました。ここは、ひたちなか市より、少し開花が遅かったようです。丁度、今日、満開になりました、と言われました。ひたちなか市の桜は、葉桜のところも出て来ています。

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           4月8日 花の寺 弘願寺にて(常陸大宮市

 花の寺、弘願寺の桜です。境内にはくすぐり地蔵があり、地蔵の体の、自分の病んでいるところと同じところを触ると、病が治ると言われています。身代わりになってくれるわけです。「聴くだけ観音」では、椅子に座って観音菩薩に向き合っていると、心が静まっていきます。久遠の中へ私の声が吸い取られて行くような、そういう静謐な瞬間に、ふっと心の緊張が解けていくような感じになりました。

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              4月9日 旧県庁お堀端の桜

 旧県庁のお堀端の桜です。今年が見納め。今日、本を返しに図書館に行ったので、写真に収めました。故高木きよ子先生は桜が大好きで、この時期になると心が騒いで、じっとしていられないのよ、とおっしゃってました。高木先生には到底及びませんが、やはり、桜が咲く時期は気になって歩いてしまいます。

 高木先生は宗教学者であると同時に歌人であり、属されていた「宇宙風」にもお誘いいただきました。ただし、私にはその才がまるでなかったようで、続きませんでした。でも、言葉の美しさや難しさに気づかせてもらえました。

  「さくら花飽かず追ひゆきその果てにあふるる程の春に逢ひにき」

                       (高木きよ子『歌集 花明り』昭和53年

  「かがよひて天を蔽へり散りしきて地を埋めたり桜まんだら」

  「あれほどの桜ことごと浚ひゆきいづちをさして春は行くなる」

                      (高木きよ子『歌集 夕桜』平成10年

 「あう」という言葉を漢字にすると「会う」「合う」「遭う」「遇う」「逢う」などと出てきます。最初の二つくらいは、使い分けますが、あとの三つはあまりなじみがないのが普通ではないでしょうか。「遭う」はばったり出あうことで、どちらかというと酷い目にあうときに使います。「遇う」は思いがけなく出あうことですが、「幸運に遇う」とか「ばったり遇う」というように使います。「逢う」はお互いに行きあうこと。そうか高木先生は、桜と出逢っていたんだ、と納得します。でもその一方で次のようにも詠みます。

  「桜咲けばいづこまでもと追ひてゆくわが執念は片恋にして」(『夕桜』

 「浚ひゆき」は、最初読めませんでした。漢和辞典を引いて「浚う」は「さらう」と読むこと、井戸や川の底を深くすることだと分かり、歌のイメージが湧きました。この頃は、ひらがなで書いてしまうことが多くなっていますが、漢字は奥が深いですね。桜を追い求めて春と出逢うと詠みながら、桜へのおもいを片恋とも詠む。人の「おもい」も複雑で奥が深い。

 高木先生は「想(そう)」という題で歌集を出したかったそうですが、「おもい」とも読むこの字、でも「おもい」と読まれては意図が異なるということで、迷った挙句にあきらめたそうです。「想(そう)」とは、仏教で、すべての対象を意識の中で構成する作用のことだそうです。確かに、高木先生の歌は、抒情歌のようでいて、かなり理屈の歌だという気がします。意識による構成作用として、歌を創っていたのかもしれません。 

h-miya@concerto.plala.or.jp