宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

芸術を味わう?

 大坂なおみさんがテニス全豪オープンで、チェコのぺトラ・クビトバさんを破って優勝しました。テレビでの解説もかなり盛り上がっていました。スポーツにおける上手い・下手は、門外漢にも割に分かり易いです。少なくとも試合であれば、勝ち負けがつきます。でも芸術の場合はどうなのでしょうか。

 昨日(25日)、佐川文庫・木城館でのコンサート「前橋汀子 カルテット」を聴いてきました。曲目は「ベートーヴェン弦楽四重奏曲第8番 ホ短調op.59-2」と「ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調op.131」の2曲でした。どちらも私は初めて聞く曲でした。これをどう評価していいのか、はっきり言って分かりません。でも、集中した心地よい音の空間が生み出され、聴衆も演奏家もボルテージが上がっていたのは感じました。上手いとか下手とかと言うのは、何なのでしょうか。絵画を観ているときにもそれは感じます。小説は、自分なりに評価ができる気がします。この違いは何なのでしょう。

 中島敦の『李陵』を読んだとき、その上手さにうなりました。無駄のない言葉の選び方とそれが生み出す世界。小説に関しては、内容自体の良し悪しは読後感として分かります。解説も自分なりに構成できます。映像に関しても自分なりに評価し、解説もできる気がします。でも、音楽や絵画や彫刻・焼き物、演劇や能・歌舞伎の類に関しては、好き・嫌いは言えても、とてもとても評価も解説もできません。知識もなく、訓練もできてないから? こういう世界がもっと味わえるようになったら、楽しくなるでしょうね。

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             1月25日 木城館でのコンサート会場から

「BRIDGE」から

 録画しておいた、1月15日放映の「BRIDGE」を漸く見ました。2018年の話から始まった辺りは、何かなぁという感じで見ていましたが、1995年当時の話に入って行くとやはり見入ってしまいました。神戸の大震災で崩落したJR六甲道駅をクレーンで持ちあげて、74日間で復旧した実話をもとに描かれたドラマです。

 工事元受の建設会社「磐巻組」六甲道駅工事所長の高倉昭を演じた井浦新が良かったというのもありますが、技術者魂を見せられて、絶望していた人たちがまた立ち上がろうという気持ちになっていく。そういう希望を描いているドラマだからでしょうか。

 23年経つと神戸大震災を知らない世代が育って来ています。悲惨な状況だからこそ人間の本当の絆があった、楽園は地獄の中にしかないのかもな、というようなことを、現在42歳になった春日という男が16歳の佐渡島少年に聞かせます。「なんなんこのおっちゃん」という感じで、春日の話を聞いていた少年が、自分の住む街の話に引き込まれて行きます。春日には、語らずにはいられない心の傷がありました。語り部の力は、歴史を伝える力だなぁと思わさせられます。

 どんなにつらい経験でも、記憶の中にはめ込まれたものは、やがて薄れていきます。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」。だからこそ私たちは生きていける。それでも、そこで経験したものは、心に刻み込まれているのは事実です。

 私たちはよく、「忘れてはいけないものがある」と言うし、言われます。それはその通りなのですが、PTSD心的外傷後ストレス障害)という症状は、忘れることが出来ないことから生じているとも言えます。忘れていけないものとは何なのか。心の傷は癒さないとしんどいです。私たちは傷が癒えると、その体験自体も薄れていく。それでもやはり、心に刻み込まれているものがあります。それは何なのでしょう。

 3.11で福島からひたちなか市に住居を移した方たちとの交流会で、まだ20代の女性たちが「夢に出てくるのは、故郷での生活です」と言っていたことを思い出しました。切ない話です。石川啄木は「故郷は遠くにありて思うもの」と歌いましたが、それは失われてしまった故郷ではありません。私の好きな「やはらかに 柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」という歌も、故郷があるからこそ抒情歌なわけです。

 「BRIDGE」からいろいろなことを考えました。リチャード・ローティによれば、他者の苦難への感受性は、抽象的な言葉からではなく、小説やドキュメンタリーなど、他者の生のディテールを描き出すものによって育まれるのです。確かに、その通りかもしれません。

新聞を読んで:「普通」という基準を考える

 最近、認知症や介護問題の記事が目に付きます。私自身が関心があるからかもしれませんが、取り上げられる回数が増えている気がします。

 東京新聞で言うと、「暮らし 生活」のページですが、月曜日のテーマ「働く」では1月14日「悩む前に 介護離職を防ぐ」(上)、1月21日同(中)、そして28日が同(下)と3回に亘って掲載されます。火曜日のテーマ「健康」で、1月15日「地域で共に生きるため 『認知症基本法議員立法で制定の動き」がありました。

 障害を持つ人や社会的に周辺化されてしまう人たちを扱う記事も増えている気がします。「地域の情報」のページで、15日に掲載された「しみん発 ホームレスに希望再び」と22日の「社説・発言」のページの「視点 弱さを受け入れられる社会に 摂食障害当事者として」(社会部・中村真暁)には、いろいろ考えさせられました。

 「ホームレスに希望再び」で、さんきゅうハウス理事長の吉村一正さん(72)は、「どん底に落ちたと思ってもそこで終わりじゃない。仲間がいる」「人が一番つらいのは、誰にも理解されないということ」と語っていました。ホームレスと聞くと、そんなつらい状況は嫌だと思うし、何となく距離を置きたくなります。敬愛する故片山洋之介先生は、「上野公園に座っていると、ホームレスのおじさんが寄って来て、『これ食べなよ』とパンをくれたりする」と笑いながらおっしゃっていたことがあります。片山先生には人と距離を作らない、そういうひょうひょうとした趣がありました。

 自身の摂食障害を紙面でカミングアウトした中村さんは、今でも自分の弱さに振り回されていて、体験を書くことを躊躇したが、生きづらさに悩む人たちに「一人ではない」と伝えたかったと書いています。そして「摂食障害でなくても、居場所がなく、つらい思いをしている人は少なくない。自身や他人の弱さを受け入れられる社会にするには何が必要か、当事者として、記者として、考え続けたい」と結んでいます。

 少し前まで、そして今でも、認知症に対して外聞が悪いと思う人は少なくないと思います。しかし、認知症が脳の器質的疾患から生じていることが知られるようになって、大分一般の人たちの捉え方が変わってきた気がします。それと同時にやたら、認知症にならないための生活習慣とか食生活が言われ始めましたが。

 吉村さんや中村さんの発言や経験から感じるのは、私たちの持っている「普通」という基準の問題です。そしてちょっと自分の周りを見回してみれば(自分を含め)、「普通」なるものから誰しも少しあるいは極端に逸脱している部分はある、ということに気が付きます。「普通」という基準は意味がないと言っているわけではありません。それは社会を構成しているプラスの価値の表明であり、そこの維持は努力目標になります。また人との交際における、間合いを作る壁でもあり、それは守りの壁でもあります。だって、誰かと出会ってその都度、根掘り葉掘り聞いたり、調べたりしないとその誰かとの関係が結べないとしたら、気が重いし、人間関係がおっくうになります。

 ただその基準の意味がどういうものかを絶えず反省していないと、いつの間にか基準に取り込まれて苦しくなるのも事実。自分を縛ったり、他者を裁いてしまったりします。本来、人が生きる、上手く、よりよく生きるための約束事だったものが、いつの間にか当たり前(自然)で、それから外れるのは恥ずかしい、外れると人でなしになってしまう。

 本末転倒。でも、そういう傾向は私自身にもあります。そういうとき、吉村さんや中村さんの言葉にハッとさせられます。「普通」という基準は踏み込みすぎない防波堤としながら、でも例えば誰かから「私LGBTなの」といわれたとき、「あーそうなの」とさらっと受け入れられる社会であったら、生き易いだろうなぁと思います。

 私たちはいのちを預かって、今を生きています。いつかそのいのちを返すときが来るまで、楽しく苦しく生きている。そしてそれはせいぜい100年でやってきます。そう思うと、今大切なことは何なのか、立ち止まるきっかけになります。そういう俯瞰する目も必要なのだと思います。

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                1月22日 夕方の名平洞

道徳法則と普遍性

 道徳は法則化できるのでしょうか。カントはそれを試みました。そして義務倫理といわれる「義務ゆえに義務をなす」こそが道徳的行為であると主張しました。「義務よ! 君の崇高にして偉大なる名よ」という言葉が『実践理性批判』(篠田英雄訳、179頁)にあります。じゃぁ、義務とは? ということになりますが、カントの倫理学を考えるとき、通常は『実践理性批判』(原書 1788年)が主著として扱われます。ここで純粋実践理性の根本法則が、普遍性の原理と言われます。

  「君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」(波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波文庫、1979年、72頁)。

 格律(率)は個人的な行動法則、モットーです。主観的原理であり、これに対して道徳法則は客観的原理と言われます。そこでの法則は普遍的でなければならないよ、というわけです。義務は理性的に万人に妥当しなければならないということです。でも普遍性だけである格率が道徳的義務かどうか分かるのか。普遍性の原理はそれだけでは道徳法則にはならないというのが、アラスデア・マッキンタイアの批判ですが、むしろ自由と人間性の定式の方が、道徳法則の根本則のような気がします。

 カントの人間性の定式と言われるものですが、通常引用されるのは、『道徳形而上学原論』(原書 1785年)第2章からです。

  「君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない」(篠田英雄訳、岩波文庫、1960年、103頁)。

 そして人格性に関しては、『実践理性批判』では『原論』のような定式化はされていません。人間を含めた理性的存在者は目的自体であって、自由による自律のために神聖だと言われています。この自律ゆえに、意志は、理性的存在者の自律に一致するための条件に制約されています。それが、上の理性的存在者を単なる手段にすることの禁止です。でもどうして、定式の形で書かれていないのかなぁ。

  「理性的存在者は、決して単に手段としてのみ使用せられるものではなく、同時にそれ自身目的として使用せられねばならない、ということである」(実践理性批判』181頁)。

 書かれている内容は同じでも、打ち出し方が違いますよね。

 普遍性という基準に関して、マイケル・サンデルは、普遍化という試験は自分の個人的利益と状況を優遇していないかどうかを測るリトマス試験紙(私の表現です)のようなものだと言っています。

 尾田幸雄『倫理学』(学陽書房、1973年)では、普遍性の原理は「定言命法の形式的普遍性の側面を強調して具体化」したものと捉えられています。そして公表性を普遍性の一つの標識であると言います。この公表性は、『永遠平和のために』のなかで、永遠平和の体制を保証する条件として挙げられているものです。

  「他人の権利に関係する行為で、その格率が公表性と一致しないものは、すべて不正である」(宇都宮芳明訳、岩波文庫、1985年、100頁)。

 『永遠平和のために』の中では、続けて、この原理は単に倫理的なものではなく、人間の権利にかかわる法的なものであると述べられています。さらに、格率は公表性と両立しさえすれば逆に正当化できるかといえば言えない、と続きます。なぜなら、決定的な主権をもつものは、自分の格率を隠す必要がないから、と。カントの現実主義者としての側面がよく現れています。だから、公表性は普遍性の「一つの」標識なのですね。

 何をもって道徳法則とするか、難しいですが、人間性の定式はかなり有効かなと思います。ケアの倫理は、これで語れる気がします。でもこれだけでいいのかとなると、もう少し考える必要が出てきます。普遍性の問題をどうするか。要らないのかどうか。不偏性という基準へのスライドかなぁ。

社会福祉と法律

 先日、ある社会福祉法人の方にお会いしました。現在、肩を痛め、介護士の仕事は小休止。福祉の現場で他に何ができるか、考えています。

 介護士として働いてみて思ったことは、かつて介護福祉士養成学校で教えていた「人間の尊厳と自立」の授業構成、今ならもっと違った形でやるなぁ、ということ。まぁ、当たり前ですが。

 養成学校が立ち上げられたばかりの頃(1997年)は、科目自体、厚労省(この頃は厚生省)からの指定にも詳細がなく、倫理学という授業でした。むしろこちらの方が人間の生き方と向き合う授業になっていたかもしれません。

 「人間の尊厳と自立」のテキスト(『人間の理解』中央法規)はよくできていると思います。ただ、それは知識的な側面であって、確かに経験した人や部外者でも関心のある人が読めば参考になります。しかし高卒段階で、まだ福祉の現場を知らない学生にとっては、知識の羅列です。介護福祉士の国家試験対策としては使えますが。

 福祉三法、福祉六法、福祉八法なるものを知ったのは、この授業の準備を通してでした。第二次世界大戦敗戦後、まず児童福祉法(1947年)が成立し、身体障害者福祉法(1949年)、生活保護法(1950年)と整備されました。ここまでが福祉三法と言われます。これらはすべて昭和20年代です。戦争孤児や疾病兵の救済は急務であり、かつ生活保護の整備も近代社会の福祉の根底になります。

 この生活保護法は、1946年に公布されたものが1950年に全面改訂され、公布と同時に施行されています。戦前の生活困窮者救済法は、1929年(昭和4)に公布・1932年(昭和7)施行の救護法です。イギリスの救貧法(1531年に始まる)を参考にしています。救護法は1946年に生活保護法の施行によって廃止されました。生活保護法では現金給付と現物給付がありますが、医療と介護は現物給付、つまり、料金を払わないでサービス等を受けられます。

 その後、高度経済成長期に、知的障害者福祉法(旧:精神薄弱者福祉法 1960年)、老人福祉法(1963年)、母子及び寡婦福祉法(旧:母子福祉法 1964年)が加わって福祉六法体制になりました。

 1980年代に入ると戦後の社会福祉体制の見直しが始まり、1990年(平成2)に社会福祉関係八法が改正されました。ここには生活保護法は入っていません。生活保護法を除く五つの法律に、老人保健法(1982年)、社会福祉医療事業団法(1984年)、社会福祉事業法(1951年)(現:社会福祉法 2000年)が加わって、福祉八法と言われます。

 なぜ生活保護法が含まれないのか。生活保護法には他法他施策優先の法則があると言われますが、これが関係しているのでしょうかね。社会保障制度の基本法は沢山あります。授業の準備を通して学んだことですが、福祉を形作る枠の力です。私たちの日常生活もたくさんの法律に形作られていますが、通常あまり意識しません。日本の福祉の世界は法律がもっと近い感じがします。日本の福祉は、法律から始まっている感じでしょうか。

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                  1月13日の平磯海岸

自他一体化した身体からの他者論

 小学生が昨日はカバンを背負って歩いていました。「松が明けた」のですが、この辺りは、15日の小正月まで「松の内」でした。この頃は、どうなのかな。お正月のお飾りをいつ外すか、いつも迷います。

 さて、外の世界や他者はどのように妥当とされるのか、という問題に戻ります。デカルトでは、私は私の意識の外には出られないので、神さまが媒介しました。現象学は、すべてを意識の中から解明しようとします。フッサールは、「私」を触覚的身体から位置付けました。そしてこの「私」は超越論的主観として、感覚が受け取る諸現出を突破して現出者を志向的に構成する。他者はこの「私」に属する外部の構成を拡張していく方向でした。

 どういうことかと言えば、私と私の身体の間には直接的・根源的提示関係があります。これの直接的類比として、他我は得られます。これは身体を介して行われますが、まず私の身体が、自然の一部として確証されます。この身体は意識の自由な志向力に応じて変化する特質を持ちます。他の身体は、自分のものとは異なっていますが類似性を持つものとして推理されます。ここでは私は私の身体と他の身体との間に一つの共属性を前提として直感しています。それゆえ他の実在(石ころや家など)とは異なった実在として認知されるわけです。その後、この身体同士の共属性の直感から、物的対象が私と他我との同一物として受け取られ、客観的世界を志向的に構成すると言うのです。

  「わたしは、他我の身体によって他我を意識するのである。他我の身体は、他我自身には、絶対的ここという現われ方において与えられているのである。

 しかしながら、わたしは、わたしの第一次領域のうちにおいてそこという様態で現われるものと、他我の第一次領域のうちにおいて彼に対してここという様態で現われるものとが、同一の物体であるといったいどうしていえるのであろうか」(フッサールデカルト省察』第55節)

  他人を自分と同じ構造を持つものと直感するというとき、まず、自分の身体と自分の関係から、私の意志では動かせないが、その存在自身の意志で身体をコントロールする別の自分と同じ存在を直感する。これは分かる気がします。ただこれはやはり独我論の世界から抜けてはいない気がします。そういう批判は、フッサールが他我論を提示したときに当然起こりました。

 ところで、意識の志向的構成から考えると、狼に育てられた狼少女アマラとカマラは、自分と狼を同じ仲間と認識していたことになります。人間の中で育つ人間は、他の動物と自分を混同はしないようですが、標準的体験が狼からくる場合、自分を同種のものと認知すると言っていいのでしょう。これも一種の刷り込みなのでしょうか。カモが最初に見た動くものを親と認知して行動するのと同じように。ただ人間の場合は、かなり可塑性をもつようです。刷り込みは一度だけではない。

 閑話休題、他者を自己移入して構成し、その他者と「私」にとって同じ世界を志向的に構成するという拡大された独我論の世界はどうやって乗り越えらるでしょうか。谷徹さんは、自我が成立していない原受動的・先志向的な次元では、自他の身体ヒュレーが「原身体」として癒合しあうことが起こるのではないかと書いています(『これが現象学だ』講談社現代新書)。これは晩年にフッサールが発掘した状態であると考えるとも。

 要するに、自分の身体の意味が構成されたのちに、それを他者に移入して他者の身体の意味が構成されるのではない、ということです。自他一体化した身体ヒュレーが根源なのではないかというのです。この癒合した状態はキネステーゼ意識の発動によって「私」の身体構成を進めていきます。

 キネステーゼ意識とは、「私が動く」という感覚と対象の現出が一体になっているもののことです。動いて外の世界が変化していく中で、自分の身体が分化されて捉えられて行くと言ったらいいでしょうか。根源にあるのは癒合した身体ヒュレー。メルロ=ポンティが着目したのはこの位相だったのでしょう。この癒合性は完全に失われることはなく、成人的な自我に至っても残存する。フッサールの自己移入論は、このようにこそ理解されるべきだというのが、谷徹さんの見解です。

 間主観性とか相互主観性といわれる事態も、このような身体における癒合性をベースに考えると、独我論の拡大という難点を乗り越えられるのかもしれません。

脳死・臓器移植

 今日は昨日より風が冷たかったですが、夕方散歩したら、少し汗ばみました。午後は取り溜めしたドラマを観ていました。死を、残された者たちが受け入れることの複雑さを考えてしまいました。

 さて、医療が文化的・社会的制約の中にあることを実感させられる一つが、脳死・臓器移植問題です。日本人は土葬から火葬に移行したとき、それほどの混乱はなかったと言います。しかしそれが、遺体へのこだわりのなさを意味するわけではありません。日本人の遺体観・霊魂観を考えるとき、死にゆく人と共にあって、その死を受け入れていく時間の意味を思います。

 『アンナチュラル』の主題歌の「Lemon」を聴いていると、大切な存在の死(喪失)を受け入れていくことの複雑さを思います。心の中のいろいろな思いが、その喪失をきっかけにあふれだし、その時の例えばすれ違いの意味を思い、「今でもあなたはわたしの光」と思うことで耐える言葉を得る。

 東日本大震災の現場を再現した映画『遺体』を観たとき、娘の死を受け入れられない母親が遺体から離れられずにいる場面がありました。あの母親もまた、娘とのいろいろな場面を思い起こしながら、娘の死を「今でもあなたは私の光」と思えるようになっていくのだろうかと思います。

 脳死状態は1950年代に人工呼吸器によって登場しました。人工呼吸器が登場するまでは、脳幹が働かなくなると呼吸が止んで酸素の供給が絶たれるため、心臓の拍動が途絶え、直ちに死を迎えました。しかし心臓は脳の命令がなくても自力で拍動する能力が備わっています。酸素が供給されれば、ある程度は動き続けることができます。

 人工呼吸器登場当時は、この不思議な状態はあまり脚光を浴びることなく、「不可逆昏睡」irreversible comaないし「超昏睡」coma dépasséと呼ばれ、あくまで生きている状態とされました。1967年12月3日、南アのクリスチャン・バーナードのチームが同種心臓移植に挑戦したとき、この不思議な状態に白羽の矢が立ちました。

 どういうことかと言えば、心臓移植は拍動停止後では成功しません。しかし拍動中の心臓を摘出すれば、移植医が殺人罪に問われかねません。そこで遠からず死に至るがいまだ心拍のある状態が着目されたわけです。旧来の三徴候死(心停止、呼吸停止、瞳孔散大・固定)に加えて死の規準とすることが図られました。

 不可逆昏睡は、脳死brain deathと改名され、1980年代以降大半の先進国では人の死の基準とされていきました。日本でも1997年に「臓器移植法」が成立し、本人と家族の同意の下で脳死・臓器移植が始まりました。2010年7月17日から、本人の臓器提供の意思が不明の場合、家族の承諾で臓器提供が可能になり、15歳未満の者からの脳死下での臓器提供も可能になりました。それと同時に、家族もまた前よりも葛藤を抱える状態に直面する可能性が出てきたわけです。

 脳死判定の難しさも言われています。現在の脳死判定は「竹内基準」が使われています。4番目に行われる脳波検査による「平坦脳波」という状態は、頭皮上の電気活動を見るものです。電極を直接脳にあてがって脳の活動そのものを調べるものではありません。深部脳波(頭蓋内脳波)を測定する機器を開発した船橋市立医療センターの唐澤秀治脳神経外科部長らは、開頭手術したくも膜下出血患者ら7症例を対象として、頭皮上脳波と深部脳波の関係を検討しています。それによると「頭皮上脳波が平坦となっても深部脳波は必ずしも平坦ではない。脳の電気活動が弱ければ、その活動は厚い頭蓋骨と頭皮を通って頭皮上までは到達しないと考えられる」と結論されています。

 とすると、5番目に行う「自発呼吸の停止を診断する無呼吸テスト」は、非常に危険なものです。救命の現場で行われる臨床的脳死診断では、してはならないとされています。なぜなら、10分程度人工呼吸器を止めることは、守るべき脳の状態をさらに悪化させる可能性だけでなく、心停止すらもたらしかねないからです。

 脳死・臓器移植の問題は、そこで行われる医療の実態を知ると同時に、私たちの死者の看取りの問題と併せて考えていかなければならないことだと思います。 

h-miya@concerto.plala.or.jp