宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

コールバーグの道徳性の発達段階論2)

 さて、コールバーグは、仮想の道徳上の葛藤場面に対する反応を分析して、三水準六段階の発達段階を抽出しました。有名なハインツの例を引きながらこのことを説明しましょう。

 ハインツのジレンマ】 ヨーロッパで、一人の女性が非常に重い病気、それも特殊なガンにかかり、今にも死にそうでした。彼女の命が助かるかもしれないと医者が考えている薬が一つだけありました。それは、同じ町の薬屋が最近発見したある種の放射性物質でした。その薬は作るのに大変なお金がかかりました。しかし薬屋は製造に要した費用の十倍の値段をつけていました。病人の夫のハインツはお金を借りるためにあらゆる知人をたずねて回りましたが、全部で半額しか集めることができませんでした。ハインツは薬屋に、自分の妻が死にそうだとわけを話し、値段を安くしてくれるか、それとも、支払いを延期してほしいと頼みました。しかし薬屋は「だめだね。この薬は私が発見したんだ。私はこれで金儲けをするんだ」と言うのでした。そのためハインツは絶望し、妻のために薬を盗もうとその薬屋に押し入りました。

 ハインツはそうすべきであったか。またその理由は。

 上のジレンマへの回答は「賛成」か「反対」かの二者択一です。問題はその理由付けなのです。この理由づけ(動機づけ)の構造を分析することによって、コールバーグは被験者の発達段階を決定したのです。道徳性の段階の定義と、それぞれの段階に分類される動機の例(レスト、1968年のものも参考にまとめた)は次のようになります。

〔慣習以前のレベル〕

このレベルでは、子どもは「善い」「悪い」「正しい」「正しくない」といった文化の中で意味づけられた規則や言葉に反応します。しかしこれらの言葉の意味を、行為のもたらす物理的結果や、快・不快の程度(罰、報酬、好意のやり取り)によって考えたり、そのような規則や言葉を発する人の物理的力によって考えます。このレベルには次の二つの段階があります。

<第一段階――罰と服従志向>

 罰の回避と力への絶対的服従がそれだけで価値あることと考えられます。罰や権威が 支持する根本的な道徳秩序に対する尊重からではありません(後者の場合は第四段階)。この段階の動機づけの例は賛成の場合、反対の場合、それぞれ次のようになります。

【動機づけ】・賛成:もし妻を死なせてしまえば、自分が困ったことになるでしょう。妻                                                           を救うためのお金を惜しんだと非難されるだろうし、妻の死に関して薬屋とともに取調べを受けるでしょう。

      ・反対:もしも薬を盗めば、捕まって刑務所に入れられますから。

<第二段階――道具主義相対主義者志向>

 正しい行為とは、自分の必要と、ときに他者の必要を満たすことに役立つ行為。公正、相互性、等しい分け前などの要素が存在しますが、常に物理的な有用性の面から考えます。この段階での正しい行為とは、自分や他人の欲求を満たすための手段なのです。

【動機づけ】・賛成:捕まったとしても薬は返すことができるので、重い罪の宣告は受けないでしょう。刑務所から出たときには妻がいれば、辛くないでしょう。

      ・反対:薬を盗んでも長く刑務所に入れられることはないでしょう。しかし、たぶん彼が出所する前に妻は死ぬでしょうから、彼にとってあまりよい事態にはならないでしょう。

 リコーナという人は、現代のビジネス関係の中では、この第2段階が優位になっていると言っています。大人世代がこの段階で生きている人が多いということです。道徳以前の段階で、取引的な関係性の中に生きているということでしょう。次は、慣習レベルの話です。

コールバーグの道徳性の発達段階論1)

 キャロル・ギリガンのケアの倫理を考えるにあたって、ローレンス・コールバーグの道徳性の発達段階論をまず抑えておく必要があります。ギリガンのケアの倫理は、このコールバーグの理論への批判あるいはその一面性の指摘として出てきたからです。

 コールバーグ(Lawrence Kohlberg 1927~87)は精神病院で心理学のインターンとして働いていましたが、臨床心理学の道徳概念に疑問を感じインターンを辞めます。そして、10歳から16歳の子どもの道徳判断の発達に関する博士論文の研究に着手しました。

 コールバーグの道徳性発達理論の中心は、「認知論」と「普遍主義」であると言われます。前者について彼は、ジョン・デューイ、G・H・ミード、J・M・ボールドウィン、ジャン・ピアジェと、自分の道徳理論に関する一連の仮説を認知発達的理論と言っています。これは表面的な道徳的行動や道徳的知識を問題にするのでなく、道徳的判断の背後にある認知(物事について知る)構造に焦点を当てています。

 1928年~30年になされたハーツホーンとメイの「ごまかし」に関する研究は、どんな人も状況によって「ごまかし」を行うという衝撃的結果を導き出しました。この研究は、道徳的言葉や表面的に受け入れられた徳目が道徳的行動を導くとは言えないことを明らかにしました。なぜなら、ごまかしをする人も、しない人と同じようにごまかすことはいけないと言うからです。しかし、コールバーグの道徳的認知構造の研究の結果、人が状況によって「ごまかし」をしたりしなかったりすることを、論理的に説明することができるようになりました。そして道徳的発達段階が上がるにつれて、「ごまかし」が減ることが統計学的に有意であることも言われました。つまり、道徳的に成熟した人間は、もろもろの規則に従うのでなく「正義の原理によって行動」しています。そしてこの成熟は、認知的発達に支えられているのです。

 次に、彼が主張した「普遍主義」というのは、文化や時代を超えて共通の(普遍的な)道徳的判断の「形式」が存在するということです。道徳規範(内容)がどこでも同じと言っているわけではありません。そしてこのような考え方の実践が道徳的発達段階の設定であり、その判定法です。これらは何度も改定されています。しかし道徳性の段階が存在するという考え方は、修正されることのない中心的前提です。

 コールバーグはこれを次のように述べています。①段階とは、思考と選択における質的に異なる構造と形式のことです。その内容とは区別されます。②段階は「構造を持った統一体」です。個人の道徳判断のレベルは、葛藤場面や規範が違っても一貫しています。③段階は、一定不変の連続性を示します。個人は段階を飛び越えたり、後退したりすることはありません。発達速度に違いはあっても、発達の段階に文化による違いはありません。④段階は「階層的に統合されたもの」です。可能な最も高い段階で思考し、最も高い段階を好む傾向があります。

 彼は以上の道徳性の段階の概念を前提に、最初の被験者(男性)たちを対象に30年にわたって縦断的研究を行いました。後に異文化や女性にも適用可能かどうかを確かめるために、別の縦断的研究を行うようになります。次回は、コールバーグの道徳性の発達段階の考え方を具体的に理解するために、ジレンマを使いながら3水準6段階の話を書きたいと思います。

介護施設とリハビリテーション

 明日はお彼岸のお中日です。今日、やっとお参りしてきました。彼岸に行けるかどうかは分かりませんが、いずれこの此岸からは去っていきます。高齢者の集まっている介護施設にいると、「早くお迎えに来てもらいたい」と利用者さん同士が話し合っている場面に頻繁に出くわします。今いるところは、リハビリテーションを看板に掲げている施設です。通常のイメージだと、リハビリは社会復帰を目指して行うものと捉えられていると思います。では、高齢者にとってのリハビリって何なのでしょう。

 リハビリテーションの語源はラテン語で、re(再び)+habilis(適した)という意味を持ちます。再び適した状態になること、機能低下した状態から回復することというような意味になります。1980年代のWHOなどの定義を見てみると、機能回復と同時に社会への復帰や参入を達成するあらゆる手段を包括すると言われています。1999年の「地域リハビリテーション支援活動マニュアルの定義」には「医療保険介護保険でのサービスのひとつであるとともに、技術であり、ひとつの思想でもあり」、同時に多角的なアプローチを必要としていると言われています。

 リハビリしてその先どこへ行くのか希望がないなら、あまりやる気にならない人もいるでしょう。高齢者にとって行きたくなるような場所とはどういうところでしょうか。私は、道の駅のような、高齢者にとっての情報提供と楽しさとくつろぎと、そして何かやりがいが提供される場がないかなあと考えています。極楽までの、彼岸までの「道の駅」。そこへ行きたいと思えば、高齢者にとってもリハビリは、張りあいのあるものになるのではないでしょうか。

インフォームド・コンセントの前提条件

 今日は一日☂。台風18号の影響です。台風18号は午前11時半頃、鹿児島県南九州市付近に上陸し、午後5時頃、高知県宿毛市付近に再上陸したようです。そして眠くて仕方ない一日でした。

 気合を入れ直して、インフォームド・コンセントの前提条件をまとめておきたいと思います。インフォームド・コンセントは患者や被験者が与え、医療者や実験者が受け取ります。主役は患者・被験者側です。前回、インフォームド・コンセントは医療裁判における判断基準の法理として発展してきたことを書きました。患者がインフォームド・コンセントを与えるにあたって、まずどのような情報が提供されなければならないか。これは結構難しい問題をはらんでいますが、アナスがあげる7項目は次のようなものです。

 1)治療ないし処置の概要、2)その治療・処置に伴う危険性、3)その治療・処置以外の選択肢と、それに伴う利益や危険性、4)治療を行わない場合に想定される結果、5)成功する確率と何をもって成功とするか、6)回復後に残る問題と正常な日常生活に戻るまでにかかる時間、7)同じような状況下で、信頼に足る医師たちが提供している情報。

 それぞれの項目について、具体的にどのような基準でどこまで開示するかという点に関しては、1)患者の健康を守る責任のある専門家社会の慣行による基準、2)(平均的な注意力、行動力、判断力をもって行動する)合理人が自己決定権を行使するために必要な量と質という基準、3)個々の患者にとって重要な情報という主観的基準に分けられます(R.フェイドン/T.ビーチャム『インフォームド・コンセント』)。

 患者側から言えば、主観的基準での開示が望ましいと思いますが、ただこれは医師に、患者の個人的価値観や関心や性格までを直感的に理解することを要求し、医師に不当な法的負担を強いることになります。「医師は法廷で患者が後から考えた利己主義的な弁明のなすがままにされる」と論じられます。私も親知らずを抜いたとき、起こり得る可能性をいろいろ並べられて、怖くなったことがあります。客観的に言えば、その通りなのでしょうが、そこまで別に知りたくはないと思いました。その代わり、父の大腸がんの手術の時は、術後に起こり得る状態をもっと教えて置いてほしかったと思いました。

 次に成人がインフォームド・コンセントを与えるにあたって、知っておきたい前提条件は次のようなものです。

1)患者は医師に、理解し納得するまで何度でも質問してよい。質問の自由。アメリカ病院協会が作成した「患者の権利章典」(1973年)の第2項目に明確に掲げられています。2)患者が同意した医療を実施したときの責任は医師にある。「ヘルシンキ宣言」基本原則3に挙げられています。3)法律が許す範囲での患者の同意拒否権。診療を拒否したときに起こる事態について説明を受ける権利がある。4)患者の同意撤回権。医療開始前、医療開始後も可能であれば中止できる権利。この場合、医師は患者との人間関係を悪化させてはいけない。5)患者は医師を選ぶ権利を持つ。6)患者は満足の行かない診療を拒否する権利がある。しかし医師が承諾しない治療法を、医師に強制はできない。

 患者側が分からないということを言い続けるのは、難しいところがあります。結局、お任せしてしまう。確かに、最終的には信頼関係なのでしょうが、自分なりに納得できるところまでは、理解したいと思う患者も多いと思います。自分なりの落としどころを探している。そして、医療者はそれに付き合う必要がある。インフォームド・コンセントの前提条件はそういうことを言っていると思います。

インフォームド・コンセントとニュールンベルク倫理綱領

 昨日の授業で、インフォームド・コンセントを扱いました。インフォームド・コンセントとは、十分に治療や実験の内容を理解した上で、患者あるいは被験者が同意を与える、あるいは治療や実験を拒否することです。現在、医療の現場でごく当たり前になりつつあります。これは患者あるいは被験者の自己決定権を尊重する考え方ですが、前提には自律尊重に関する近代的理解があります。カントは人間の尊厳を、道徳を自己立法する自由意志に置きました。一方功利主義では、各人の幸福は各人が一番知っているので、各人の自律的行為への不干渉こそが、社会全体の進歩と幸福の総量を増すと考えます。

 このインフォームド・コンセントには二つの流れがあります。一つはナチスの人体実験への反省から、10項目のニュールンベルク倫理綱領として確立され、ヘルシンキ宣言につながっていったもの。人体実験には被験者の同意が必要という原則は、近代医学の発展の中、19世紀末から次第に確立されてきましたが、これが国際的に宣言されたのはニュールンベルク医療裁判においてでした。その後、ニュールンベルク倫理綱領を受けて、1964年に世界医師会はヘルシンキ宣言を出し、何度か修正追加が加えられてきました。

 もう一つは治療における患者の同意の必要性で、19世紀末頃から欧米の裁判の判例に現れて来ているものです。特に1950年代のアメリカで巻き起こった黒人の公民権運動の拡大として、1960年代から始まった患者の人権運動の中で、考えが深化し定着して行ったものです。インフォームド・コンセントという言葉が初めて使われたのは、サルゴ対スタンフォード大学理事会訴訟の判決(1957年)においてでした。この言葉は、医療裁判の規準の法理として生まれました。その後、ニュールンべルク倫理綱領で確立された倫理基準に基づく法理が取り入れられて、1970年代初め頃に定着しました。日本に入ってきたのは、1990年代です。1997年の医療法改正で、「説明と同意」義務が法的に明文化されました。インフォームド・コンセントの前提条件に付いては、次回に書きます。

 どちらにもニュールンべルク倫理綱領が大きな影響を与えています。これはナチスドイツが、第2次世界大戦中の強制収容所で行った虐殺や人体実験を裁く医療裁判の中で確立されました。ドキュメンタリー映画『夜と霧』(監督 アラン・レネ、1955年)は、ユダヤ強制収容所でのユダヤ人虐殺(ホロコースト)を淡々と告発した映画です。でも、モノクロの戦時中のフィルムは、観ていて気持ちいいものではありません。32分の映像ですが、今なお、ホロコーストを描いた映像で『夜と霧』を超えるものはないと言われています。

 このドキュメンタリー映画の題名は、ヒトラーが発した命令(総統命令)の一つである「夜と霧」(法律)に由来します。この法律の名前は、ヒトラーが好きだったワーグナーの作品から引用しています。ナチスにとって邪魔な政治犯を密かに収監して、跡形もなく消し去ります。まさに、「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように!」(リヒャルト・ワグナー『ラインの黄金』第3場「ニーベルハイム」でアルベリヒが唱える呪文)そのままです。法律の名前の取り方自体、ヒトラーの狂気を象徴するようで、不気味です。

 授業では、「気持ち悪かったら観なくていいからね」と断った上で、後半10分くらいを主に観てもらい、その上で、ニュールンべルク倫理綱領を説明しました。綱領自体はある意味、現代では当たり前の内容であり、その意味で、読み流してしまうところがあります。少しでも背景を感じ取って欲しいと思ったからです。

 「当たり前」に辿り着いたことも、ローティーに言わせれば、幸運な歴史の偶然なのかもしれません。であれば、大切に受け取っていかなければならないと思います。

『しあわせへのまわり道』そして『死刑台のエレベーター』

 『しあわせへのまわり道』(原題:Learning to Drive、2014年)と『死刑台のエレベーター』(1958年)のDVDを観ました。後者は以前にも観ましたが、その時はピンときませんでした。ストーリーで映画を観ていた時期です。

 『しあわせへのまわり道』は女性詩人の実体験に基づくエッセーが原作です。マンハッタンのアッパー・ウエスト・サイドに住む売れっ子の書評家ウェンディが、ある日突然夫から離婚を切り出され、現実問題の運転免許取得に取り組む中で、自分の人生や家族との関係を見直し、新しい旅立ちをしていく物語でした。自動車教習の教官を務めるのが、インドから政治亡命をしたダルワーン。彼はタクシー運転手をしながら、副業で自動車教習の教官をやっています。二人はぶつかり合いながらも、互いを理解しあっていきます。この二人、上手くいくのかなと思ったら、ダルワーンはインドの妹が選んだ女性を花嫁として迎えます。この二人も最初ぎくしゃくしていましたが、ウェンディーのアドバイスで、歩み寄っていきました。現実問題として分かる、と感情移入して観られる映画でした。私が女優だったら、この役はやれそうだとも感じました。でも『死刑台のエレベーター』は、本当に映像の世界でした。

 日本でもリメイク版が作られていますが、私は観ていません。『死刑台のエレベーター』は、ストーリーよりも音楽と映像の作品だと思います。パリの夜の街をジュリアン(モーリス・ロネ)を探して彷徨うフロランス(ジャンヌ・モロー)の姿に、マイルス・デイヴィスのトランペットがスタイリッシュにかぶさります。この夜のパリ、ジャンヌ・モローマイルス・デイヴィスの演奏ほど、スタイリッシュという言葉が当てはまるものはないと思います。マイルスの演奏は即興というのが定番のようですが、実際はレコーディングの前にラッシュ・フィルムを観て構想を立て、取り直しを重ねたと言われます。こちらの方が、現実味を帯びています。

 監督のルイ・マルは当時、25歳で、これがデビュー作です。現場経験1年の新人監督がこれだけのキャスティングができた背景には、大実業家で富豪の父親からの援助があったというのは有名な話です。まあ、納得ですが、本人が恵まれた環境を生かし切っていたわけで、文化はお金と時間がかかるという良い事例だと思います。この映画は完成していて、そして努力で演じられる代物ではない、と感じました。感性を前面に出している映画で、アメリカの映画にはあまり感じられないものです。フランス系の映画は『男と女』(監督 クロード・ルルーシュ、1966年)を除いて、今一つのめり込めなかったのですが、今回改めて観て、凄いなあと感じました。味覚が変わるように、映画感覚も変わっていくのでしょう。 

ひたちなか市民大学 第5回、そしてバイオエシックスの授業

 6日は、無線技術、特にBluetoothブルートゥース)の話でした。こんなロゴ見たことありますよね。

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  ペアリングして、スマフォをワイヤレス・イヤフォンで使えるというのは、そうかあと思いました。実際にパソコンにマウスをペアリングさせたり、やって見せてくれましたが、自分でやると、いろいろ問題でてくるだろうなあと、ボーと聞いていました。今のところは、Bluetoothが何か、どこを探せばいいかが分かっていればいいという段階です。実際に使いたくなったときは、ググってやってみます。操作可能距離は10メートルくらいだそうです。無線ネットワークの問題点は、電波が届けば、侵入可能な部分で、パスワード設定と暗号化が必要になります。現在使っているマウスもワイヤレスですが、ナノレシーバーをUSBポートに差し込むタイプです。

 昨日(7日)は、看護学校で哲学・倫理の授業をしてきました。バイオテクノロジーの進歩がいろいろな問題を生みだし、バイオエシックスが登場してきた辺りの話です。夏休み前に、少し触れましたが、そのときは、2000年4月23日放映のドキュメンタリー番組「人体改造時代の衝撃」を見てもらいました。2000年に放映された医療の最先端を探る「シリーズ 世紀を超えて」は見ごたえのある番組でしたが、その第1回目です。ここでは豚を使った移植臓器作成の話から始まって、救世主兄弟、人ES細胞研究、遺伝子操作する人間の未来、牛の卵子と人間の細胞融合、クローン人間の問題が取り上げられていました。

 この時点で取り上げられた救世主兄弟は、1990年の事例で、姉娘を助けるためにHLA(ヒト白血球抗原)が一致する4分の1の確率にかけて妊娠出産したアヤラさん一家の話でした。もう一つ、『リメイキング・エデン』を書いたリー・シルバー博士(プリンストン大学)の「人々の欲望がテクノロジーの未来を決める」という言葉が印象に残っています。

 今日の授業で使った映像は、2010年3月28日に放映されたものです。「人体製造――再生医療の衝撃」では、細胞外マトリックス、肝細胞、動物に人間の臓器を作らせる、救世主兄弟、精子製造、クローン人間をめぐる話題を取り上げていました。10年後に取り上げられた救世主兄弟(2005年出産)は、体外受精で作られた受精卵のHLA遺伝子の型を診断して、姉娘と適合するHLAを持つ受精卵を子宮に戻して妊娠・出産した事例でした。ゲノム技術の進歩がもたらした変化です。2003年4月14日に「国際ヒトゲノム計画」はゲノム解読完了を宣言し、2004年10月に完成版の論文が出ています。

 ゲノムというのは、一個の生物体ないしは細胞が持つ遺伝情報の総体。ヒトに固有のゲノムがヒトゲノムで、その実体は細胞核に存在する染色体です。ヒトでは常染色体22組44本と性染色体2本の計46本。染色体とはどういうものかと言えば、糸状の構造体で、ヒストンと呼ばれるたんぱく質の周りにDNA(デオキシリボ核酸)の2重らせんが巻き付いたヌクレオソームを基本単位とした巨大な糸状分子です。このDNAが遺伝子の本体です。ここに含まれる塩基がアデニン(A)、グアニン(G)、チミン(T)、シトシン(C)の4つで、これらの塩基の配列(シークエンシング)の読み取りが完了したというのが、ゲノム解読完了です。

 テクノロジーの進歩は、人類が経験したことのない領域に足を踏み入れました。欲望や願望はあっても実現しないものには、倫理や道徳は関係しませんが、実現するようになった生命領域の問題に関わる倫理・道徳は、手つかずのまま。私たちは原理的に考えることを避ける傾向があります。肌合いの倫理的なもので生きてきた。技術がここまで進まない時代には、あるいは他の国に追い付け追い越せのときには、自分たちで原理的に考えることを避けても、何とか対応できたと思います。外から来る規範を、参考にして応用することができました。でも、私たちが率先して開発する段階(iPS細胞など)に入っていることを考えるとき、それでは済まなくなっていることを受け止める必要があると思います。

h-miya@concerto.plala.or.jp