宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

教えることと学ぶこと

 教科には教えなければならないことがあります。その教えなければならない目標、例えば漢字が書けるようになること、計算ができるようになることなど、ある種今の時代を生きるには必要なものです。ただ、その必要性が生き生きと感受されないと、おそらく学びは辛いものになる。勉強しなければ、になるわけです。

 高等教育では特にその教科の目標設定が難しい部分があります。茂木健一郎さんが『脳の中の人生』(中公新書ラクレ、2005年)の中で、「今までとは違った世界の見方を提供するのが、本当の学問である」と書いています。これはサル学的視点の話の中で出てきたものですが、学問一般に言えると思います。ではなぜ違った世界の見方を提供する必要があるのか。それはそれを受け取る側が存在して、その違った世界の見方に感動するからです。そういう受け取る側、学ぶ側が存在しなければ、教えることは成り立ちません。

 教えることを学ぶことから照射するとどういう景色が見えてくるのでしょうか。学び合いというのも、その結果の一つでしょう。ただこのとき、教える側が、学び合いを主宰することを放棄すると、真の学びは成立しないでしょう。教える側にかなりの力量が要求されます。共に学び合いながら教える側は、教授の場を客観視する目が要求されます。教えかつ学び合っている自らの在り様へのメタ認知

 教えることが学びの喜びを引き出せないと、私たちは学ぶことを放棄してしまうのかもしれません。教えることの奥の深さを感じます。

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           サフランが咲きました。

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