宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

「考える葦」

 このところのメディア報道を見ていて思うのは、パスカルの言葉の重みです。パスカル(1623-62)は、近代社会の不安の中に生きた人です。様々な社会秩序が大きく揺らぎ、共同体の中での自分の位置や大きくは宇宙の中での人間の位置があいまいになり、個々人が新しい社会の在り方を模索していた時代です。パスカルは『パンセ』の中で、人間の弱さを語り、考えることにその尊厳を見い出します。

 「人間は一本の葦にすぎない。自然の中でも一番弱いものだ。だがそれは考える葦である。これを押しつぶすには、全宇宙は何も武装する必要はない。‥‥(中略)‥‥しかし、宇宙が人間を押しつぶしても、人間はなお殺すものより尊いであろう。人間は、自分が死ぬこと、宇宙が自分よりもまさっていることを知っているからである。宇宙はそんなことを何も知らない。だから、私たちの尊厳のすべては、考えることのうちにある。‥‥(中略)‥‥だから、正しく考えるようにつとめようではないか。ここに、道徳の原理がある」(347)

 人はいずれこの世界を去ります。でも、そのことを忘れて生きているのが現世の人間なのでしょう。現代人である私たちは、死の後、を考えることはあまりありません。どうしても「今」に囚われています。そして、「今」がずっと続くと思ったり、「今」の自分の望むようにすることや社会が自分の思うとおりになることが「善」と信じて、行動します。

 「正しく考えるようにつとめようではないか」というパスカルの言葉が響いてきます。どうしたら「正しく考えられるのだろうか」と。まずは謙虚でありたい。

 謙虚であるとは、自分への疑いであり、自分の信じるように「しか」考えることができないのが人間であると知ることで、ときに自分の信念に「怖れ」をもつことなのだと思います。権力を持つほどに、必要になる資質ではないでしょうか。

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                   5月22日の三反田の水田

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