宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

子どもと空想の世界

 今日は、子どもの日です。田んぼには水が張られて田植えの時期。私の好きな水田風景の時期です。水田風景の美しさは、周りの景色と一体化しています。満々と水が張られた田んぼの水面に、林や空、雲、山などが写って、風が水面を渡ってくるとき゚の心地よさもあり、この時期の水田は見ていて見飽きません。

 Netflixのオリジナルドラマ『アンという名の少女』の世界も同じように田園風景です。原作は言わずと知れた『赤毛のアン』ですが、人物の描き方や物語の作り方が、一歩踏み込んでいてストレートだと感じました。原作はもう少し、余韻がある。都会の中でアンのような、空想好きでおしゃべりな少女が動き回っていたら、少々疲れそうです。田園風景の中だと、刺激になります。『孫悟空の遊勇伝』も、思わず見てしまいますが、こちらの脚色は漫画チック。

 お話の世界を、子どもは大好きです。感覚に訴える世界だからでしょうか。プラトンは芸術を敵視しました。絵空事の世界を描き出して、感覚的執着心をあおり、本来人間が求めなければならない、感覚を超えた永遠の真実への探求心を妨害する、と考えたようです。もっともプラトンの書いた対話篇の文体は、とても美しいと言われています。偉大な文学作品として位置付けられています。アリストテレスは、悲劇についても述べていて、「悲劇」が人生理解に果たす重要性を書いているようです。人生を理解する洞察力をそこから引き出すことが出来ると。また悲劇に強い感動を覚えることを「カタルシス」と呼び、「魂の浄化」と定義しています。

 物語だけでなく、ドラマは好きでよく見ます。創られた世界はそのまま感覚で受け取めて、その中に没入して現実から離れることができます。魂の浄化とまでは行かなくても、気持ちがリセットされる感じがします。今はやっていませんが、山歩きしていた頃、やはり現実から離れて気持ちがすっきりするのが好きでした。旅行も同じですね。

 Netflixのオリジナルドラマを観ていると、ここまで遊んでいると面白いだろうなあ、と思います。そしてそれに共感する人口の多さ、子どもだけでなく大人も空想の世界が好きなんだなあ、と思います。

h-miya@concerto.plala.or.jp