宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

日常生活動作(ADL):生活のシャドウ・ベース

  24日、介護職初任者研修の最終試験が終わりました。落とすための試験ではないと言うことで、素直に解答していても、まあ、大丈夫かな、記入欄を間違っていなければと思っています。今週半ばまでには結果が分かります。一緒のクラスで頑張り屋さんだったKさんは、心配症で、落ちたときの連絡が来る℡番号、自分の携帯番号を申請していたかどうか、事務方に確認してました。「大丈夫よ」と彼女に言いながら、心配は移るなあと思っています。書き間違えていたら、見直しはしたけど、と心配になってきます。

 8月27日からほぼ4か月、土曜一日コースでした。これまでは初任者研修修了者は、介護福祉士の試験に現場経験3年で挑戦できました。来年からは上乗せで実務者研修450時間が必要になります。その際、初任者研修修了に費やした130時間をカウントできるそうです。ということは残り320時間研修を受ければいいことになります。

 初任者研修を受けて感じたことは、日常生活を送り続けるのは、当たり前でなく、生まれてすぐに始まる文化的訓練が身に付いていたからだ、ということです。その複雑さは、繰り返しの中で「自然」になるほどに刷り込まれ、その「当たり前」を前提に私たちの日常の様々な活動が可能になっています。食べて、排泄して、眠って、のサイクルが上手く行っていないと、仕事も趣味も思うようにはできません。

 でも食べること一つとっても、分解するとなんて複雑なのだろうと思いました。食べたいという欲求、視覚や臭覚を通して食べ物に準備態勢が出来、口の中に食べ物を入れ、噛んで飲み込む、というこの一連のほとんど無意識にやっている行為が、分解されて、それぞれ上手くできない症状が示されたとき、😱ひえーと思いました。どっちの足から歩くか、どっちの手を振るかを意識すると上手く歩けなくなるような感覚、と言ったらいいでしょうか。

 マズローの欲求5段階説というのがあります。その第1段階は生理的欲求です。食欲、排泄欲、睡眠欲というようなものですが、これはADL(日常生活動作 Activities of Daily Living)が上手く行かなくなると自分で満たせなくなります。ADLとは、食事や歩行や入浴、排泄、衣服の脱ぎ着などを言います。この第1段階でつまずくと、第2段階以降の欲求を満たすことが難しくなります。

 介護はこのADLに困難を抱えてしまった人をフォローすることで、第2段階以降を自分なりに構築する手助けをすることを目指しています。それが「ADLからQOL(生活の質)へ」というよく用いられる表現です。つまり介護は、ADLやIADL(手段的日常生活動作)を高める手助けが最終目的ではなく、その人らしく生活すること、生活自体の質を高めることが目指すべきものだと言うことです。

 私の中で、「介護はただただ大変」というだけのイメージが変わりつつあります。

 下の写真は、私の趣味の生け花の作品です。ごくごく普通に気分転換の楽しみ、当たり前と思ってましたが、そうじゃないんですよね。家事労働はシャドウ・ワークと言われますが、日常生活動作は生きることのシャドウ・ベース、それも甚大な基盤、だと思います。

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